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私の家族⑤ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

現在の私の家族は妻と二人だけ。横浜の一軒家に住んでいる。もう14年になる。義父赤井源蔵、義母せい子は同居していたこともあったので家族のようなものである。二人とも既に他界しているが、義父源蔵は謹厳実直な人。義母せい子は社交的で活発な人であった。

長女万里子は、1978年(昭和53年)8月19日に1130gの未熟児で生まれた。当時、父親(私のこと)が遠く離れたワシントンの大使館勤めだったので、万里子と名づけた。今は横浜市内のグループホームで生活している。

次女聡子は、昭和59年12月6日生まれ。聡明であれとの願いを込めた名前である。夫佐藤健一と優衣(3歳)の3人で都内文京区に住んでいる。健一はJAXAの社員、聡子は弁護士の共働きである。孫の優衣が20歳になったら、一緒にお酒を飲もうと思っているが、その時私は90歳。それまでは元気でいたいものだ。

妻光子とはお見合いで1977年9月に結婚。私29歳、光子27歳であった。「これから自分の家族を作るぞ」と張り切ったわけではないが、浅野家が断絶しないように、次代が生まれるといいなといったぐらいは考えていた。

光子は今住んでいる、この横浜の家で生まれた。横浜生まれ横浜育ちの一人っ子である。小学校から高校、近くの市電終点から学校まで市電で通っていた。市電はとうに廃止されているが、光子は今でもその地を「終点」と呼んでいる。

女子校育ちで大学も女子大、卒業後はソニーの広告部に勤めた。結婚してしばらくは共働きだったが、私がワシントン勤務になる前に退職した。その後は専業主婦となり、現在に至る。性格は穏やか、生真面目、一緒にいて疲れない。ここまで45年一緒にいたが、さらにこれから20年目指す。

「私の家族」は⑤にて終了。浅野史郎の愉快な人生はまだまだ終わらないが、連載のほうはこれにて終了。ご愛読に感謝。

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

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