土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
45年前の福島駅には、全くエレベーターがなかった。私も街にどきどきしながら出始めたばかりの頃、階段だらけの駅に戸惑い、倉庫のあたりにあったちょっと怖そうな荷物用のエレベーターを使わせて欲しいと頼んでみた。
私と他に車椅子を使っている男性の3人。2人の車椅子を使っている友人は聞き取り難い言葉ではあったが、駅員からからかうように酷い言葉をかけられた。「私たちは社会のお荷物です、だから荷物用のエレベーターを貸してください、と言ってみろ」と言われたのだった。あまりの差別的な言い方に屈辱と怒りで1時間か2時間、抗議し続けた気がする。結局その荷物用のエレベーターを借りることはできたが、それ以降はなるべく駅員には頼まずに通行人たちに「手を貸してください!」と叫び続けて駅と電車を使い続けた。そして交通バリアフリー法ができるまで通行人だけでなく駅員が率先して手伝ってくれる時代も作った。
私が通行人に頼もうとすると、「いやいや、僕たちがやりますので」と言って、例えば電動車椅子などは右と左に駅員が3人ずつ、計6人がついて登ったり降りたりした時代。そんな時に「俺たちも大変なんだから、少なくても弁当食べる時間には来るな」とか「電動車椅子は重すぎるから、俺たちの体のことも考えろ」と言われたこともあった。そんな時、いつも私が言ったのは「私だってこんな怖い思いをいつまでもしたいわけはないのだから、一緒にエレベーターをつけるよう会社や自治体に働きかけましょうよ」ということだった。
そして毎年10月10日には、東京新宿駅に100台くらいの車椅子使用者が集結し、アクセスを要求し続けた約10年間があった。今、多くの駅にはエレベーターがつき、障害を持つ私たちの移動の権利も随分、確立されてはきた。
そんな中、先日久しぶりに駅で乗車拒否をされたという話を聞いた。詳細は彼女のブログに譲るとして、私がその炎上したTwitterでのやり取りにどう思い、どう感じたかを述べていく。
乗車拒否というのは明らかに“差別”そのものである。差別がいけない、というのは人類普遍の原理だと思いたいが、Twitterのやり取りを少しだけ見ると、まずこれは差別であるという認識を持てていない人が本当に多い。それぞれが自分の考えやすい、想像しやすい人の立場に立つことによって感情移入を行い、私の友人の行為を非難したり同情したりしている。
友人は移動の権利を私たちがどんな風に勝ち取ってきたかを知っているからそれを継承して、無人駅であっても差別されることがないよう駅員に対してよく働きかけたのだった。にも関わらずそれを「やりすぎ」とか「感謝が足りない」とか、個人的な関係の問題に矮小化しようとする発言に社会の保守化と危機を感じる。
友人のしたことは乗車拒否に対する差別の告発だけではなく、移動の権利を全ての人に確立していこうとするための懸命な交渉と取り組みであった。その状況は私が冒頭で体験したような、あまりに露骨なものではなかったが故に、人々の同情心をそんなに煽りはしなかった。人々は障害を持つ人に簡単に同情はするが、権利の確立に立ち上がろうとする人には複雑な感情を覚えるようだ。
友人は類稀なるチャレンジ精神の持ち主で、楽しいことが大好き。そのためにはやりたい事は何でもやろうと、差別されることに諦めることなく、どこにでも2人の子供や介助者、友人を連れて良い時間を過ごすために出かけて行く。障害のない人が子供を連れてどこにでも出かけるのはあまりに日常だから、乗車拒否は中々おきず何の話題にもならなかっただろう(ただ乳母車に乗った赤ちゃんを乗車拒否する人たちも最近現れてきていて、子供差別も障害者差別と同じように厳しい)。しかし彼女は100センチの身長で2人の子供を産み、様々な発言を試み、本を出版し(ママは身長100センチ)、この優生思想社会の中に大いなる快挙を成し遂げてしまった。だから人々の中にある様々な形の羨望と妬みが、爆発的にTwitter上に現れてしまったと私には見える。
私たちは誰もが幸せになる権利を持っている。無人駅は車椅子を使う私たちにとっては非常に使いづらい、幸福追求権を妨害するものである。だとしたらそれをどのように変えていくかを考え、行動すれば良いだけである。とんでもないところに莫大なお金(軍事費、原発、大量消費至上主義)が回っている現実にひとり1人が覚醒して欲しい。そんな中、友人の行動は無人駅をなくしていこうというだけのシンプルな問題提起なのだ。
私が幼い頃には無人駅というのはなかった。駅員さんが1人しか居ない駅にはお客さんとの人間的な交流がいくつもあった。私たちは無人駅を無くす取り組みの中で人権を取り戻し、互いの人間性をさらに深め合ってゆけるに違いない。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。