地域で生きる/23年目の地域生活奮闘記127~人前で話をすることのむずかしさを再認識したことについて~ / 渡邉由美子

自立生活を始めて23年目となると、日々さまざまな物事に遭遇し、自然と人生経験といえるようなものが培われてきます。

若い頃は顔面赤面症があり、人前で声を出すことすらできず、「この子は言語障がいがあってしゃべることもむずかしいのではないか」、「知的障がいもかなり重いのではないか」などと勘違いされることも多々ありました。
今ではその当時が懐かしく思われるほど、人前で話すことに耐性が付いてしまいました。

50歳を過ぎたこの数年は、福祉関係者や障がい当事者、その家族らに向け、”自分の半生を語る”といった場面も多くあります。

重度の障がいをもつ人であれば、誰もが通ってきたであろう道のりを自分の半生として語るのですが、私のそれよりももっともっと険しく過酷な人生を宿命と受け入れて生きてこざるを得なかった諸先輩方も大勢いることを知る身としては大変おこがましく感じ、腰の引ける思いを抱きながら講演の場に臨んでいます。

それでも障がい者福祉を始めとする社会問題は、誰かが語ることで過去から現在、そして未来へと受け継がれていくものだと信じて活動を行っています。

少しそれますが、先日広島で行われたサミットの話題に触れたいと思います。サミットに出席した各国の要人たちが原爆資料館を訪れた際のことです。そこでは85歳を過ぎた被爆者の女性が、自分が5歳の時に被爆した体験を赤裸々に語り、「そのような悲惨な体験をする未来が二度と訪れることがないように」と、核廃絶を切実に訴えかけていました。

テレビニュースでその様子を見ていて、実体験を語り継いでいくことの重要性を改めて認識しました。その女性の話は内容もしっかりと系統だったものであったうえに、その語り口が人々の胸を打つものであったことがとても印象的でした。

戦争という、あってはならない、二度と起こしてはならない事態の体験談を現在に語り継ぐという非常に重大なテーマを話題にしており、私自身の体験などとてもじゃなく同列にはできないと思いつつ、やはり当時者が語る生の声には重みがあると感じました。

今回の広島サミットにはウクライナのゼレンスキー大統領が訪れました。戦渦の司令塔が本国を離れはるばる来日し、ロシアによるウクライナ侵攻の収束を各国首脳に直訴する姿を見て、日本はもちろん、世界各国がロシアのウクライナ侵攻を収束させるために何ができるのか、改めて考えるきっかけになったのではないでしょうか。

またこれを機に、日本政府が行っている軍事費増大は本当に必要なことなのか、急速に軍事国に傾きかけているように見える現在の状況について、日本社会全体が広島・長崎の教訓に立ち返って考え直すべきなのではないかとも思います。

さて、話題を私の半生を語る講演活動に戻します。先日、地域での自立生活について学ぶ障がい当事者向けの勉強会に招かれ、そこで自立生活を実践し続ける私の半生を語る機会を得ました。

会場に集まったのは5人でしたが、ZOOMで参加してくれた方も20人以上いました。これから親元を離れて施設入所ではない道を選ぼうとしている人もいれば、何もないところから重度の障がい者が一市民として当たり前に地域で自立生活を送れるよう、道を切り拓いてきてくれた大先輩方までさまざまな立場の人が集い、私が歩んできた等身大の人生というものに興味を持って耳を傾けてくれました。

私は緊張すると、一生懸命しゃべろうとするあまりとても早口となってしまいます。周囲からも「せっかくのいい体験談がそれでは相手に伝わらない。もったいない」と言われる始末です。
相手に上手に伝えるために、そのウィークポイントを直そうと日々試みてはいますが、どうにも直すことができずにいます。

欲目でみてくれる人たちからは「それもあなたが話すことのひとつの味だから気にすることはない。そのままのほうがあなたらしくて良い」と言われます。また「事前に用意した原稿を時間ぴったりで収まるように棒読みするよりは、ずっと聴く気になる語りとなっている」といった意見をもらうこともあり、その言葉に助けられて、講演活動が続けられているのは言うまでもありません。

私の話の中で多くの参加者が興味をもってくれる話題のひとつに「重度の身体障がいをもつことが理由で、普通学校はおろか、特別支援学校(私の時代は養護学校と呼ばれていた)からも入学を渋られ、12年間、親御さんが付きっきりで学校に通ったという知人がいる」というものがあります。

これを語ると全員に驚かれます。私の時代は「小学校4年生までは親が付き添うこと」が養護学校に通う”就学猶予対象の児童”の条件でした。

今思えば、その入学を巡る交渉が私の人生における闘いの歴史の幕開けでした。もちろん当時は幼く、自ら意識的に闘ったわけではなく、両親の私に教育を受けさせたいという願いを実現させるために、気の弱い母親が必死に闘ってくれたのでした。

来週は現役の特別支援学校の教員や大学院生を対象に私の半生を語る講演活動を控えています。上手に話せなくても精一杯伝える努力をし、参加者の心に何かを残せる語りの場にしてこれたらと考えています。これからも地域での自立生活を確立するために私が体験してきたことや障がい者運動の歴史を語り継いでいきたいと思います。

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

関連記事

TOP