土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
聖火ランナー「青木健太さん」インタビュー
4月7日、三重県で聖火ランナーを走られた青木健太さん。ホームケア土屋三重で事業所が立ち上がった当初から支援を届けている方で、今年1月に青木さんの念願であった就労中の重度訪問介護の利用が四日市市独自で認められました。
今回はそれらのことについて青木健太さんにお話を伺いました。
野呂)聖火ランナーお疲れ様でした。
青木)ありがとうございました。
野呂)昨夜は雨でしたが天気もよかった。健太さんの日頃の行いですかね(笑)
青木)僕の日ごろの行いがよすぎました(笑)
野呂)朝早くから集合だったみたいで。
青木)集合場所があって、どのように聖火の火を受け渡すかと前後の人との打ち合わせもできました。
野呂)ということは、瀬古さんとも?三重県最初のランナー瀬古利彦さんの次という、2走目という大役でしたね。
青木)おかげさまで、すごい観客の人数でした(笑)
呂野)2走目と決まったのはいつごろでした?
青木)2週間ちょっと前かな?ギリギリまで知らなかった。
テレビで聖火リレーを見ていても観客も少なくて、ちょっと顔見知りがいるかなぁ?ぐらいのイメージだったけど、2走目ということもあったためか、とてもたくさんの観客がいた。
野呂)まぶしいのもあったのか、とても目つきが悪かったですよ(笑)
青木)誰が誰か本当にわからなかった(笑)。野呂さんが正面から写真撮っているのもわからなかった(笑)。誰か知らない人から撮られてるわぁ、どこ見たらいいんやってキョロキョロしてた(笑)。
野呂)開始時間を勘違いしていて、40分ぐらい前から待ってたのですが、健太さんいないって探していました。
青木)専用車で移動して、ギリギリで降ろしてもらってトーチもらって、終わったらすぐ乗車ということでした。一般の観客と接触しないようにという配慮でしたね。
野呂)そうなんですね。コロナだから?
青木)それもありましたが、一般観客の方がいると、もみくちゃにならないようにもあるみたい。
野呂)瀬古さんとも話したんですか?
青木)どうやってトーチ受け渡す?というときにお話はしましたが、腕動かないの?って聞かれた(笑)。父親がいろいろお話していましたね。
全然違う話なんですが、機動隊の方もたくさんいて、そこで昔柔道で県内で争った友達や先輩がいて、すごいうれしかった。
野呂)おー!向こうが気づいてくれた?
青木)向こうが気づいてくれて、マスクとってわかった。機動隊なので、なんかあったら出動するっていう待機組だったみたい。
野呂)すごい(笑)。健太さんの走るまわりにもたくさんの警察の方やボランティアの方もいた。
青木)2走目だったので、瀬古さんが連れてきた観客をそのまま引き連れて僕が走っていった感じ。すごい人だった。
野呂)健太さんが走っていた後ろの、少し離れたところを瀬古さんが走っていたのに気づいてました?
青木)え、知らなかった。
野呂)ファンサービスみたいな感じで走ってましたよ。だから健太さんと瀬古さんが観客を引き連れていました。
青木)記念になりました。
野呂)車いすとトーチをつけたアームは自作ですか?
青木)自作と、先にアタッチメントがあって、それは実行委員会ので、アタッチメントは返却しました。
野呂)ということは、もうトーチつけれない?
青木)つけれない(笑)。
野呂)残念(笑)。つけた状況の写真とりたかった。
聖火リレーを走るときに心がけていたことや、走り終わった後の感想は?
青木)とりあえず消えないように!ってことを意識した。テレビで聖火リレー中に消えたってニュースを見たので、消えないでくれ!って。走り終わった後は聖火を繋げられたことに安堵した。
野呂)1年延期だったので、気持ち的にはどうでした?そういえば、去年聖火ランナーとして着用する靴を一緒に買いに行ったなぁと思い出しました。
青木)もう聖火リレーはないな、と思っていて、オリンピックすらないかなと思っていた。そうしたら、あれよあれよと走ることになって、気づいたら今日だった。感覚としては本当にそんな感じでした。3日前ぐらいから緊張していた(笑)。
野呂)先週末、急遽病院へ行ったって聞いていたので、聖火ランナー大丈夫かな?って心配していた。
青木)ちょっと微熱があったので、聖火ランナーのためにちょっとした心配もなくしたかった。
野呂)めっちゃ取材されているって聞きましたが、何社目?
青木)野呂さんあわせて5社目かな?めっちゃ疲れた。
野呂)人気者ですね(笑)。走っているときもめっちゃ写真とられていた(笑)。
2走目だったので、スタート地点は確認できたのですが、出発の合図とか人が多すぎて何もわからなかった。鈴木知事の声が聞こえていたので、セレモニーやってるなぁぐらいだった。
青木)あ、セレモニーやってたのか。知らなかった。森市長も来ていたのかな?
野呂)さすがに来ていると思いますが、わからなかった。気づいたらトーチの火だけ人垣の上で動いてて、「あ、スタートしてる」って気づいた。
森市長の話も出たので、長年、健太さんが望んでいた就労中の重度訪問介護が、四日市市の事業として今年1月からスタートしたことについてお話をお願いします。
青木)本当にうれしいですね。
野呂)健太さんの想いが通じた?
青木)通じたのか、四日市市がすごく親身に考えてくださったのか。
野呂)どのように訴える活動されていた?
青木)今の森市長へ手紙を直接渡したことと、地元紙に訴えを掲載したこと、あと野呂さんと一緒にボッチャのイベントに出たときに森市長が来てたじゃないですか?あのときに直接お願いできたかな?
野呂)あ、ありましたね。あの時、お話されていましたね。この制度の開始前と後で、どのように違いを感じていますか?
青木)この訴えの一番の目的が家族の負担を減らすことだったので、本当によかった。自分が働いていても母親がつきっきりで横にいたので、その負担を減らすことができたのが本当によかった。もちろんヘルパーさんと家族とでは自分の心理的負担はあると思うけど、これは慣れていくなって思っている。
野呂)僕たちが支援を届けるようになったときは、夜と土日祝の会社がお休みのときだけでしたもんね。
青木)自分が働く、ってなっても家族の負担、家族の介護ありきで働くのってすごい違うなってずっと思っていた。
この話、実はどうやって四日市市に認めてもらったんですか?ってよく相談があるんですけど、行政だけじゃなくて、みんなに知ってもらうって行動をしていたつもりでした。雑誌に記事を載せてもらうとか。
野呂)同じような境遇の方へのメッセージですね。ちゃんとみなさんに野呂も届けます。
あわせて(株)土屋や重度訪問介護スタッフに向けたメッセージはありますか?
青木)うーん・・・いつもありがとうございます。
介護、というと下に見られガチだと思うんですけど、地位向上と言うか、そういったことをすればたくさんの方に来ていただけて、もっと困っている人にも支援が繋がるようになってほしい。
野呂)とてもうれしいメッセージでした。ありがとうございました。
野呂 一樹(のろ かずき)
ホームケア土屋 東海