土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
「虎吉さん、困りますよー」と、主任の畑山は言った。
「すみません」
虎吉は一応謝って頭を下げたが、でも心の底ではそんなにたいしたことでもないのではないかと思っていた。
しかし、38歳にもなって職員室に呼び出され、注意を受けているという事実は情けない。しかも自分よりも年下の男に(「俺が小6のとき小1で入学してきたくらいの奴!」)。肩身が狭い思いで職員室に立っていた。
昼下がりの職員室は人が出払っていて虎吉と畑山しかいなかった。窓が開け放たれていて初夏の涼しい風が入ってくる。
畑山はデスクの前に座ったまま虎吉を見上げて言った。
「送迎車はね、この施設の顔なんですよ」
「すみません」虎吉は謝るしかない。
「市民から自分がどう見られているか、もう少し考えなきゃ………」
「すみません」
「インシデント・アクシデントレポートを書いてもらいますよ。書き方は分かってますよね」
「はい」
もう何枚もレポートは書いてきたのでよく分かっている。畑山に目礼して、すぐに職員室の一番奥の席に座り、パソコンを開いてインシデント・アクシデントレポートのデータをクリックした。慣れたものだった。
ーレポートー
件名『送迎車で大音量でロックミュージックをかけて市民から注意を受けた件』
発生の状況:朝の送迎で運転していた際、助手席に乗っていたご利用者がいつものロックをかけてくれと身振りで伝えてきた。そこでキングクリムゾンの『21st Century Schizoid Man(21世紀のスキッツォイド・マン)』をかけたところ、ご利用者も自分も興奮してきてどんどんボリュームを上げてしまった。信号待ちをしていたときに市民の方から音楽がうるさいとご指摘をいただいた(その後、法人の事務局にも同様の内容の電話が入った)。
発生の要因:①送迎車で窓を開けたまま大きな音で音楽をかけてしまったため。②キングクリムゾンが格好良すぎたから。
再発防止策:今後はイヤホンとウォークマンを用意しておいて、ご利用者に求められたらイヤホンを使って聞いてもらう。また、もし車で音楽をかける際は音量を上げすぎないようにすることと、窓を必ず閉めるようにする。
ー以上ー
書き終えて「やれやれ」と虎吉は思った。
いいおじさんにもなって怒られてばかりだ………。
◇
知的障害者の生活介護事業所で虎吉が働きはじめて一年が経とうとしていた。
最近少しずつではあるが雰囲気にも慣れてきた。
この仕事に就く前まで、虎吉は自分が「福祉」で働くことになるとは全く考えていなかった。
「福祉」とは無縁の人生を歩んできた。博愛とか感動とか助け合いとか、そんなものは自分には似合わないし、そもそもそんな度量が自分にはないことも知っていた。どちらかと言うとそういうものから逃げるように生きてきたと言ってもいい。背を向けて、日陰を歩いて生きてきた。
誰かを助けている場合ではなく、自分が生きるので精一杯だった。
バンド仲間の友人から福祉の仕事を紹介されたとき、はじめは冗談かと思った。馬鹿にされたかと思った。絶対自分には向いてない。
「そんなことないんじゃないですか?」
と、友人は言った。
「虎吉さんなら結構いい線いけるんじゃない?」
その言葉の意味が全然分からなかった。自分の何を持ってそんなことが言えるのか。友人も適当なものである。
「まぁとにかく面接だけでも受けてみてよ」
という言葉に騙されて面接だけ受けたら次の日から働くことになり、そのまま一年である。
最初のうちは渋々働いていた。
施設の雰囲気とか職員の笑顔とか言葉の言い回しが苦手で、休憩時間になるとひとり屋上に上がって煙草をふかしていた。
早く次の仕事を見つけてさっさとおさらばしたいとずっと考えていた。
何で俺がトイレの世話したり、食べ散らかしたものの掃除をしたり、大声で叫んでる奴と散歩なんかしなきゃいけないんだ?と思っていた。
ところが最近、虎吉の考えに少し変化が現れた。
昨年の秋から車の運転をさせてもらえるようになり、はじめはペーパードライバーだったが練習しながらだんだん送迎車くらいの大きな車の運転にも慣れてきた。
慣れてきたところで送迎の仕事も頼まれるようになった。
送迎業務は、朝、家まで知的障害のある人のお迎えに出向き、帰りにはまた家まで送る。ただそれだけなのだが、通所の日中活動支援施設にはなくてはならない大事な業務である。
そんな送迎の合間に虎吉は同乗する知的障害のある青年と言葉を交わすことが増えた。
言葉といってもその青年の言葉は単語にはなっておらず、あーとかおーとか発音しながら身振り手振りで伝えてくるだけなのだが、車の中であいさつを交わしたり、話かけてきてくれることが増え、機会を重ねるごとにその話の内容が分かるようになってきた。
何を言いたいのかはじめは全く分からなかったけれど、それが少しずつ分かるようになって「やりとり」することができるようになった。
「音楽かけてくれ」
言葉はなく、身振り手振りで訴えかけてくる。
分かってくると、それがストレートな表現で、まっすぐに訴えかけていることを知り、包まずに気持ちをぶつけようとしていることに気付いた。
それが虎吉の胸を打った。
最初はラジオをかけていたが、だんだんともっとすごい音楽を聞かせてあげたいと思うようになり、ウォークマンを持ち込んでカーステレオにつないで自分のおすすめを紹介するようになった。
「レッドツェッペリン!」
その青年が新しい音楽に触れて踊るように体を動かして喜んでいる姿が、自分の事のように嬉しい。
「ジミ・ヘンドリックス!」
「この音楽、めちゃくちゃ格好いい!」
その喜びを素直に表し、全身全霊でそれを伝えようとする青年の姿に、虎吉は敬意すら覚えるようになった。
「俺にもそんなことできないのに………」
ライブハウスでならできるけれど何もないフラットな状態で昼日中から音楽に身を委ねることができるなんて………こいつ、すげえ。
虎吉はそんなことを感じ、考えるようになってから、だんだんと仕事を辞めようかなと思うことが少なくなったようだ。
やれやれ、もう少しだけ続けてみるかな………。
もうちょっとだけ、こいつらの側にいてみようかな………と、思うようになった。
【中編】につづく
虎吉のことを知る
これまでの『パパは新米支援員』はこちら↓
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