地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㉔~地域によって受けられるサービスが違う?後編~ / 渡邊由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

前回、重度訪問介護の充実度合いと、医療を受ける際の同じ制度化における利便性の違いについて述べてみましたが、今回は交通アクセスと住宅事情にフォーカスを当て、地域格差の問題を掘り下げて書いていこうと思います。

交通アクセス問題については、1990年代前後に全国交通行動と銘打って、重度障がい者の移動の自由獲得運動が全国各地でアグレッシブに展開されたことが契機となりました。

国土交通省の全国的な規模での国費を投じた補助金率の獲得を背景に、主要な駅にはエレベーターが設置され、重度の障がいがあっても自家用車やタクシーではなく公共交通機関を利用することがある程度日常的に可能となりました。

このことが私たち電動車椅子を日常的に使用する者に一人暮らしへの道を切り開いたと言っても過言ではありません。

一人暮らしをしても、家の中にいて寝起きなどの暮らしを営むだけでは社会性は育まれていきません。そして、道半ばではあるものの、市民権を得て生きることはできなくなってしまうのです。

今でも少し地方に行くと改札口の間口が狭く入れなかったり、無人駅で上下のホームを跨線橋で連絡しており、改札が一つしかなくて乗降客数も少なかったり高齢の方が多く、とても援助を求められる状況ではない場所も多数存在します。
そのような背景から、どうしても行ける場所の範囲が広がらない日常となってしまうのです。

それにしても、交通アクセス運動を激しく展開した実績として車椅子で公共交通機関に乗り、場合によっては単独乗車も認めてもらえる社会を築いてきたことは、後世に残る大きな成果の一つだと思います。

公共物の整備には、誰でも使いやすい設備という観点を外す事は出来ないのと、自治体に財力があるかないかでどうしても設備の充実度合いが変わってきてしまいます。本当はエレベーターが望ましいが、予算的にエスカル(車椅子で階段を昇降できる設備)しか設置できない等はよくある事です。

交通行動の日を定め、みんなでバリアフリーの整っていない駅に行って、現地で実力行使のような行動をした歴史もありました。

それは一種のパフォーマンスであり、駅を車椅子でも使用できるようにできたのは、定期券を買うレベルで毎日社会参加活動のために電車に乗りに行き、100kgを超える重量の電動車椅子を日々持ち上げた駅員さんたちが鉄道会社の社長に陳情し、社長が私たち当事者の要望書と共に国土交通省を動かした事実に基づく運動の結集の成果でありました。

重い車椅子をゴムホースで8人から10人の人々で神輿の様に朝晩担がれ、階段の最後の段を上り切った時には駅員さんがその場にへたり込み、倒れ込んでいく姿を見るにつけ、「この人たちを苦しめたいわけではないのに、ごめんなさい」と思わずにはいられない中でのギリギリの移動手段でした。
改札口も幅がなく、通れなければ改札の上を持ち上げて通るという状況でした。

そのことから考えれば、今は夢のように移動しやすくなりました。駅員の数が入る時間に移動することが求められていたので、門限がある生活のようでした。その時間を過ぎてしまったら、ひたすら歩いて家まで帰る生活となっていました。今では、懐かしいと言える歴史の一ページとなりました。

次に、住宅問題について書いていこうと思います。
諸先輩方は不動産屋さんを200軒回っても断られた中で、不動産屋さんとの関わりを深め、その後の仲間は諸先輩たちの時よりは借りやすくなったという歴史を積み重ねています。

不動産屋さんには、私たちは年金や生活保護など各種福祉手当で暮らしているため家賃を滞納することは絶対にないことや、火事を出す事も介護者がいるので健常者と変わらないということなどを伝えました。

また、住宅を確保することが難しいので、一度入居したら長く住むなど、障がい者だからこその貸す側にとってメリットのある点を丁寧に説明して、不動産屋さんと大家さんのご理解を得ながら家を借りて、きちんと暮らしている実績を積み上げてきました。

そんな土台を築いた上で、車椅子で住む為には段差の解消、手摺の設置から始まり、より重度な障がいを有する者にとっては介護用リフトが必要不可欠であり、設置に関しては建物の躯体に傷をつけることはない、もし、何かがあって退居する時には、原状復帰する旨を伝えて入居するのです。

そこまでの準備が終わり、入居したあと初めて行政と話し合い、そこに住む為に必要な重度障がい特有の住宅設備について相談し、手摺をどこに設置するなど、段差の解消を建物に入る段階からどうするかという個別性の高い濃厚な折衝を行っていくのです。

医師の意見書や、理学療法士のアドバイスなど専門的見地からの総合的意見も聞きながら、最後は当事者自身がこの家に30年住むことを想像した設備を作って自分の城を築いていきます。

このような住宅改修の制度も地方と大都市では雲泥の差があり、住めるところが確保出来ないために一人暮らしを断念せざるを得ない当事者も少なくないのが現実なのです。

今、福祉制度が良いと言われている地域も最初から良かったわけではなく、開拓してきた当事者の努力とそれに応えてきた行政の努力が相まって今があるのです。故に障がい者運動とは本当に大切なものだと思います。

それも大きな枠で捉えた誰のための制度か分からない物ではなく、人の顔の見えるその人の為の制度の構築が大事なのだと思います。次に同じようなケースとして扱われる当事者は、一例目より確実に道が開いており、結果を得られやすくなっていくのですから。

これからも前例のない事例を一つ一つ積み上げて、共に障がい者運動を展開していきたいと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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