信頼について / 長尾公子(取締役 社長室室長)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

有り難いことに、今のところ3歳と1歳の子供達は親である自分を慕ってくれているように感じます。
特に上の子は、目をキラキラさせながら、「お母ちゃんは、おちんちんある?」「お母ちゃんはもう3歳になった?」お母ちゃん、お母ちゃーん、と色んな質問を投げかけてくれます。

しかし、こちらが忙しかったり、眠かったりすると返事は適当になり、後で「あれは少々不味かったかな、傷ついているのでは!」などと思い直し、慌てて話し掛けるも、もう全く別世界に行ってしまっているということがあります。

寝る時に、ほぼ毎日、私は子供に伝えます。「お母ちゃんがいるから、安心してね」と。
信頼してね、これから何かあってもなくても頼りにして良いんだよ、と伝えておきながら、割と簡単に軽率な言動を取っているんだなぁと反省をしております。

これまで仕事において、「信頼してください」と言ったり言われたりする場面はどのくらいあったでしょうか。
「信頼」という言葉は一つの指標なのか、世の中には溢れているかと思いますが、実際のところ、言葉として互いに伝え合ったりすることは、さほどなかったように思います。また「信頼してください!!!」と言われても、それはそれで信頼できる材料がなければ、ある種の胡散臭さが増すのではないでしょうか。

とはいうものの、自分も過去、これまで重度訪問介護制度を使ったことがないクライアントに対して、一か八かで「信頼してください」をひたすら推し、もう見るからに生活に限界があったご家庭に、訪問支援を受け入れていただいた経験もあります。
中には「人工呼吸器をつけるかつけないか」という判断を後押ししたいがために、「信頼してください!!」という言葉で押し切り、結果として命を繋ぐ場面もありました。

「信頼する」とは、結構リスキーなことで、リスク承知で承諾することのように思います。信頼した先に待っているものが、失敗か成功か、メリットかデメリットかに関わらず、後に何が待っているか分からないけれど、先ずは受け入れる、というニュアンスもどこか含まれていると感じます。

私自身が考える「信頼」は、ぽっとインスタントに湧くようなものではなく、本来は、地道に互いが作った関係性の上にしか成り立たないものだと考えます。

仕事上、初対面の人に対する信頼における評価は、例えば、資格や肩書で判断するということもあるかもしれませんが、それはあくまで一つの材料でしかありません。本当の意味での信頼とは、結局のところお互いが交わす会話や行動の成果なのだと思っています。この行為の連続が、信頼をより確かなものにしていくんだろうと考えます。

「この人は、この物は、この制度は」信頼できるものか、会社での立場上、その見極めと判断を瞬時に迫られる場面が実際、少なくありません。
しかしここでおろそかにしてはいけないと肝に銘じていることがあります。それは、ある一つの評価や判断をした後も、その評価・判断を振り返り、検証を重ねる、ということです。

あの時もう一歩大きな価値観に踏み出せなかったか、あと少し優しくできなかったか、と検証して、次に評価、判断をしなければならないときに役立てます。

そうしてより良いものにしていこうという姿勢をやめないこと、それは、
「諦めないと決めてしまう」ということかもしれません。

「信頼」というものは、実際のところ、常に試されているものでしょう。
株式会社土屋に対しても、社会からの目は向けられています。社会的意義のあるサービスに関わらせて頂いている分、期待も大きいはずです。
「信頼してください」と、ただ言うことは簡単ですが、その言葉を聞く人の心に本当に響くような力を持たせるのは、簡単なことではありません。

「信頼してください」という言葉に、聞く人の心を動かすほどの力を持たせるのは、私たちの一瞬一瞬の、思いやりのある言動や、丁寧な気遣いであり、確かな知識・経験と、それに裏打ちされた安心感のある支援、そういったことの一つ一つが少し、また少しと信頼を生んでいって、それが段々と、大きく、確かな「信頼」を生むと考えています。

一見、回り道のように見えますが、案外、それが一番の近道であると、私はそう感じています。

 

◆プロフィール
長尾 公子(ながお きみこ)
1983年、新潟県生まれ

法政大学経営学部卒。

美術品のオークション会社勤務後、福祉業界へ。通所介護施設の所長や埼玉の訪問介護エリアマネージャーを経験し、2017年、出産を機にバックオフィス部門へ。現在は3歳と0歳の子育て中。

 

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