『pinocchio 』~本当の子どもになりたいとピノキオは言った~ / わたしの

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

今日はaiboの話をします。

2018年にソニーが新型aibo(アイボ)を発表しました。
みなさんaiboをご存知でしょうか。ソニーが開発したいわゆる犬型ロボットです。
家族の真ん中で、あるいは単身者に寄り添うペットのような存在になることを目指して1999年に開発され(約20年前)、2006年まで販売されました。

2006年の販売終了から12年経った2018年にふたたび新型が登場し、そのときから表記がAIBOからaiboに変更されました。

aiboをご存知の方がその名前を聞いて頭に浮かんだ姿はどちらのaiboでしょうか。2018年に発売された新型の方か、あるいは2006年まで販売されていたものの方でしょうか。
1999年の発売当初はロボットを購入する時代の到来として社会にセンセーションを巻き起こしました。そのニュースを耳にして未来・21世紀を感じた人もきっと少なくはなかったはずです。

12年ぶりの発売という発表を聞いて考えたことがありました。
それは、ずっと昔に購入したaiboを「今でもご家庭で持っている人はいるのかな」ということです。
もし持っている人がいるとしたら、犬や猫などの動物がペットとして愛されかわいがられるのと同様に、aiboもまた今でも愛されかわいがられているのだろうか?大事にされてきたのだろうか?
それとも飽きられて捨てられてしまっているのか、電池が切れて押し入れの奥にしまわれているのか、リサイクルショップに売られてしまったのだろうか………と様々な想像を巡らすことができます。

売れた数だけそれぞれのaiboがたどった物語がありそうです。

例えば、少なくとも12年経った今でもとても大切にされているaiboがあったとします。
家族の一員として、子どものように、友だちのように、大切に大切に扱われ、その家の本物のペットになっているaiboがいたとしたら………。

そのような大切に扱われているaiboと捨てられてしまったaiboの違いって何でしょうか?

デザインでしょうか?機能でしょうか?
上手に「ワン、ワン」と鳴けるか鳴けないか?
芸ができるかできないかでしょうか?
役に立つか立たないかでしょうか?

ソニーはaiboが人間に愛される存在になってもらうためにそのビジュアルやスペックを日々研究し、改良に改良を重ねたはずです。
かわいらしい顔に、美しい体に。
心をくすぐるような声を計算し、どうすれば人の役に立つのか、そんなことも研究し尽くしたでしょう。
でも、例えばデザインも機能も効能も同じもの、できることも同じなのに一方では大切に扱われ、かたや捨てられていくものの違いが出てきます。

何が違うのでしょうか?

もうお分かりだとは思いますが、それはaiboを購入した人の「愛着」の違いです。
そうです、これはaiboだけの問題ではなくそれに向き合う人の「愛着」を他所に置いて考えることはできません。

関係は双方向なものです。

だから片一方の問題だけではないのです。

購入した人間がそのaiboを本物のペットとして見て関わればその子は本物のペットになります。単なるおもちゃとして見ればそれはおもちゃになるでしょう。飾り物として見れば飾り物に、ゴミとして見ればゴミになります。
今でも大切にされているaiboがあったとしたらその子はきっと家族から「大切な存在だ」「かけがえのない存在だ」と思われてきたのだと思います。

そんなことを考えていたらピノキオやスピルバーグ監督の映画『A.I』を思い出しました。

ピノキオも『A.I』の主人公のアンドロイドの男の子も「本当の子どもになりたい!」と星に願いをかけ、みんなから愛されるために切実に頑張ります。

「いい子になる」

「嘘をつくのをやめる」

約束し努力を重ねてただただひたむきに「愛される」ことを願います。

しかし、aiboのことを考えたら、本当の子どもになれるかなれないかはピノキオやアンドロイドの男の子だけの問題ではありません。

「おまえはわたしの本当の子どもだ」

「大切な存在だ」

という関わる人間の「愛着」の問題でもあるということが分かります。
こちらがどう受け止めるかの問題だということです。

木の人形だと思えば木の人形でしかありません。
アンドロイドだと思えばただのアンドロイドです。

しかし、木の人形だっていいじゃない、他の人がなんと言おうと「わたしにとってはおまえは本当の子どもだ」と心から本気でこちら側が受け止めればピノキオやアンドロイドの男の子は本当の子どもに「なる」のです。

人と相対するときにその人を何もできない人と見ればその人は何もできない人に「なる」のです。
役立たずと思えば役立たずですし、お荷物だと思えばお荷物にしか過ぎないのかもしれません。

逆にかけがえのない存在だと思えばかけがえのない存在になります。

しかしながら言うは易し。

これがまた難しい。

どうやったら相手を「かけがえのない存在だ」と心から本気で思うことができるのか。

相手に「愛着」を持てるのか。
自分の「あり方」を変えることができるのか。

偉そうに書いているけれど、自分は全然それができない………。

ソウイウモノニワタシハナリタイ………。

 

◆プロフィール
わたしの╱watashino
1979年、山梨県生まれ

◎わたしの曲
https://note.com/wata_shino/n/nc337c5ce7530

◎わたしのコラム
https://note.com/wata_shino/n/nd7b0f566bb9f

◎わたしのつぶやき(LIVE情報など)
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