土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
誰もが忘れてはいけないと誓ったはずだった。
みんな、風化させてはいけないと知っていた。
しかし、私の中にはじめにあった恐怖や怒りや混乱、そして明日への約束はいつの間にか時間の中に溶けていった。
それで、何が残ったのだろう?
あれから5年が経つ。
あのとき、人々は「共に生きる」という旗を高々と掲げて、その恐怖に向かい合おうとした。悲劇を繰り返してはいけないと、涙を拭いたその手と手を取り合って、ひとつになって闘うことを決意したのだった。
一方で、あの当時、誰もが次は自分の番かもしれないと怯えていた。
「私は、誰かの役に立っているのか?」
有用であるのか。
お荷物なのではないか。
穀潰しと影で呼ばれているのではないか。
「おまえなんかいらない、あっちへ行け」
「邪魔だ」
満員のバスが揺れて、ベビーカーを畳んで赤ちゃんを胸に抱いた母親が申し訳なさそうにうつむいている。青ざめた顔をした病人は乗客の激しいうねりに揉まれて、ドアの外に今にも押し出されんばかりだった。
人々はひしめき合い、息苦しく、一様に苛立っていた。
老いてゆく者、病んでゆく者、仕事をリタイアした者たちや子どもを立派に巣立たせた者たちは自分を活かせる場所を探すために切迫していた。
それは、自分には生きる価値があるのかという問いの答えを導き出さなければならない焦りのようだった。
誰だって「世話する側でありたい」と、ある人が言った。
世話する側の一部はいつも自己承認欲求に震えおののいているのである。自分の存在を確認したくてたまらない。
しかし、また別の者は「お世話されているうちが華だ」とも言った。
その言葉の恐ろしさにはじめは誰も気づけなかった。何か微笑ましい冗談でも言ったのかと勘違いすらして、笑い合っていたのである。
◇
人々はひとつになることを希求し、寒さから身を守るように体を寄せ合っていた。
ところがしばらくすると、ひとつになったかに見えた人々のかたまりは、乾ききった泥団子の如く無数のひびが入り、二つ、三つ、四つと割れていった。
分離や離脱は次から次へと止まらなかった。
こぼれ落ちる砂の粒子は風雨にさらされ流れて消えていった。
そして、「共に生きる」旗がはためくその下で再び言い争いがはじまったのであった。
「こちらが正義だ」
「そっちが悪だ」
「間違っている」
「こっちの方が優れている」
共に生きることを目指していたはずなのに、どのように共に生きるのかを巡って、議論ではなく、けなし合いと喧嘩がはじまった。
そしてまた優劣をつける争いが起こり、人々は自分の信じるものこそ正しく、一番であると訴え、それ以外の者たちに対して改心させるために言葉を尽くしたり、時に口汚く罵り合ったり、大声を張り上げて街中を走り回ったりしていた。
けたたましいサイレンの音が鳴り止まなかった。
駅前では、白い手袋をしてマイクを持った男が耳障りのいい公約を掲げ、みんなのため、社会のため、と演説していた。
その男はポスターの自分の顔を美顔に、清潔に、誠実に、力強く見せるためのデジタル修正に余念がない。いかにも「できる」「使える」「有用な」人間であると訴えていた。
「ぼくはえらい」と訴えていた。
ところが近づいて見てみると男の顔の皮膚は剥げて崩落していて、毛穴からは黄色い膿が滲み、目の奥の光は消えかけているのだった。
私はその男に「クソ野郎」と呟いて、足早に駅前のロータリーを抜ける。
◇
だけど、私は知っているのだ。
その言葉を私は誰に向けて吐いたのか。
この5年の月日は、起点となったあの事件の犯人に向けて何かを言おうとすればするほど諸刃の剣で身を引き裂かれ、自分のうちにあの男と同じ影を発見してしまうような、不快で不愉快で目を瞑りたくなるような合わせ鏡の回廊をゆく道行だったと言ってよい。
「意思疎通の取れない障害者が社会にとって迷惑だと思った」と、あの男は言った。
人に優劣をつけ、区別し、差別し、タグ付けをし、線を引くための「できるーできない」のものさしを否定したいと願ったときに私は、私の背骨がうずく感覚を覚え、それを忘れたり無視したりしたかったんだけど、やっぱり無視することができなかった。
「できるーできない」を測るためのものさしが私の背骨の中にもはしっているという事実を認めざるを得なかった。
その背骨がうずくのである。
私だって、人を「できるーできない」のものさしで測り、区別したり、差別したり、線を引こうとしてきたのではないか。
偏見を持ち、恐れを持ち、ときには排除しようとする気持ちになったこともあったのではないだろうか。
あの駅前で演説を打っていた目の奥の光の消えかけた男のように、人のため、みんなのため、社会のためと言いながら、本当にそのためにやってきただろうか。
自分は自分の身を守ることに精一杯で、それに加えて自尊心や虚栄心を満たし、承認欲求を満たすためにあくせくとしてきたのではなかったか。
利己的で狭量で愚かで、いやらしく、汚い。
醜い。ずるい。嘘つき。弱虫。
「クソ野郎」
私はその言葉を私に向けて吐いたのである。
◇
それで、話は終わりか?
もう、それ以上言うことはないのか?
おまえの言いたいことはよく分かった。
ならば、おまえは残りの人生を自分の嫌らしい部分と向き合うことだけに費やそうとしているのか?
まるで自分の醜いニキビ面を手鏡に映して、そのひとつひとつを数えながら恍惚と不安に揺れる青年のように。自らの嫌らしい部分をさらけ出して、うっとりとして、それで、おしまいか?
それで、終わりなのか?
「・・・」
いや、終わりではないはずだ。
終わりにしてはいけないはずだ。
◇
これまで無自覚で使ってきた共生とかつながりとかふれあいとか甘ったるい言葉はいらないだろう。
華々しく、きらびやかで、眩い言葉もいらない。
大義名分もおべっかも嘘もいらない。
自分の中にもあの男と同じ影があり、人を区別し、差別し、線を引く部分があるのだということを認め、私の中にも人を「できるーできない」で測ろうとするものさしがあるのだという己の愚かさや醜さや弱さを「自覚した者」たちの言葉が必要だ。行動が必要だ。
その愚かさや醜さや弱さを無視していては先に進めないし、それを手がかりにしない限り、この闇は抜けられない。
「自分には、何ができる?」
私の愚かさや醜さや弱さで何ができる?
諦めるのでも、開き直るのでもない。
萎縮する必要はないし、絶望しなくてもいい。
愚かさや醜さや弱さを力に変えられないだろうか。
それを引き受けて、幸せに変えられないだろうか。
希望に変えられないだろうか。
その転換の言葉、ロジック、そして行動を見つけたい!
あれから5年が経つ。
はじめにあった恐怖や怒りや混乱、そして明日への約束はいつの間にか時間の中に溶けていった。
それで、何が残ったのだろう。
全てが失われたわけではない。
それぞれの人間の、それぞれの5年があった。
私の5年があった。
そして、これからがある。
「自覚者よ、前へ進め」
大丈夫。
希望が見えそうな場所まで、もう少しだ。
ーおわりー