土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
この世界はどんどん子供が自分の好奇心や冒険心を想いのままに発揮して生きることを許さなくなっている。許さないどころか、子供のままの、私ぐらいの身長で生きることは障害と呼ばれ、良くないこととされ、少しでも背が高くなるように、大きくなるようにと云う眼差しに晒され続ける。
私の身長は、小学校4年生の頃の記憶では113センチ位。そのあとは殆ど記憶に無いが、娘を産んだ時に109センチと言われたから、身長が縮んでしまったことになる。私は敢然と優生思想に対峙して生きている。
優生思想とは何かと考えた時に、それぞれの今の体の状態のままでは「いけない」とする考え方、つまり、常に自分ではない何者かを目指さなければならない。だから障害を持って生まれると、その障害が徹底的に良くないものとされ、医療の介入を受ける。ところが大方の子供たちはそれぞれの今を体現しつつも、成長という変化の中で身長が伸びていく。その中で自分が子供時代に感じていた不合理や命の対等性や悲しみをどんどん忘却するよう仕向けられる。それどころか周りの大人たちから比較や競争などの生き辛い価値を大量に注入させられていく。
私はお陰様で子供と同じような身長で世界を見てきた。だからこの優生思想をはじめとする私たちの体を「そのままであってはならない」とする社会の有り様にホトホト碧碧してきた。全ての人は子供で生まれるが、子供の時の生きるパワーの強さでその過酷な時代をなんとか生き抜く。だが大人になった頃には子供時代に徹底的に「子供であることは良くない」という理不尽さに囲まれて育ったので、その疲労感・無力感に支配され、大人である自分も中々受け入れられない。
子供という言葉にさえ既に子供を尊重するという概念の欠如がある。子供みたいな、子供のくせに、子供なんだから、子供っぽい、などなどその言葉には一人前の人格ではないという差別心が全て張り付いている。その上、その子が障害を持っていると更に手がかかり、社会に有用な大人になるにはとんでもない特別な助けが必要と思われる。子供たちを囲い込む学校の名前がそれを象徴している。障害を持つ子だけを特別に集めて特別支援学級と呼んでいる。特別な場所で、特別な助けの中で過ごすことになったら、行き着く所、その特別なものが無ければ生きられなくなるということだ。だから、子供でなくなった障害を持った大人たちの多くは特別な場所、施設や病院に追い込まれる。あるいは「社会参加」を実現したとしても最賃法からも排除されての「労働者」だったりする。
私は十代の頃に自分の将来は施設しかないのかと、滅茶苦茶苦しんだ。養護学校の先輩たちは(当時、特別支援学校をそう呼んだ)、障害が重いとみなされた人は施設へ、障害が重くても最下層の労働者として役に立ちそうな者は何らかの技術を身につけて過酷な労働をしていた。障害を持って生きるということは、この社会から徹底的に排除されて生きるということなのだと、骨折を繰り返す低身長の私が見た世界はその2つだけだった。だからそうならないための選択に何があるのかを私は徹底的に探した。行き着いた先に「青い芝の会」があった。
彼らは「この体で何が悪い」と叫んでいた。その体を路上に晒して、皆んなに見てみろと開き直っていた。どんなに障害が重くても母親たちに、子供を殺すなと叫びまくっていた。
後から良く見れば叫びまくった脳性麻痺者の殆どは男性で、女性は一般の健常者社会と同じく男性の脳性麻痺者の後ろに隠れざるをえなかったようだ。つまり男性の脳性麻痺者に育児や家事を、障害者差別よりも大きいジェンダーゆえに全く期待できなかったために。ただ当時の私にはまだジェンダーの違いがそれほど顕在化していなかったので、その開き直りの思想はそれだけでも新鮮だった。しかしその後、脳性麻痺者の1人とパートナーシップを組んで一緒に暮らすことになった。彼は子供を欲しがったが、私は日々の暮らしの中で介助されることに、あまりにも興味のない彼との違いを感じ続けていたから、彼との子供はあり得ないと思い決めていた。私のこの骨の脆い体、その上低身長の体でいわゆる子育ては全くできると思えなかったのだ。
この世の中の様々な差別の酷さは娘を迎えるまでにその後20年以上の戦いの日々が必要だった。介助料制度を作り、大きな家を借り、20代の人たちと共同生活をする中で大勢の人々に囲まれて、娘は自分の体を嫌悪するのではなく、大切にすることをよくよく学んでくれた。
障害を持つ女性がこの社会で子育てをするには、ジェンダーと障害者差別、そして自分の体ではあってはならないという圧倒的な子供への差別、眼差しに賢明で懸命なチャレンジが必要だ。
◆プロフィール
安積遊歩(あさかゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ。
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。