土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて④ / 高浜 敏之

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

4 或る累犯障害者の思い出

Nさんは毎週月曜日にデイサービス土屋に通ってくれた。

そのNさんとの最初の出会いは、東京のとある駅前のベンチだった。

Nさんがそこに寝ていた。というか、そこがNさんの居所だった。Nさんはホームレス生活を余儀なくされていた。

10数年前、リーマンショックという世界金融恐慌の余波を受け日本でも派遣切りがスタートし、貧困問題が社会的にクローズアップされていた。それに応じて反貧困運動の大きなうねりが呼び起こされ、私も仲間たちと共に東京都多摩地区を中心にホームレス支援活動をはじめとした反貧困運動を展開した。

毎晩のように駅前の大通りに隣接するベンチのところでNさんが弁当を食べていたり、寝ていたりする姿を見かけた。ある日思い切ってNさんに話しかけてみた。どうやら数週間前からこの場所を居所とし始めたらしい。それまでは神奈川県に住んでらっしゃったようだ。下肢に障害があるようで、歩行もままならない様子だった。

生活保護の申請を勧めてみた。ぜひ、とおっしゃるので、翌日駅前で待ち合わせ、申請の同行をさせていただく約束をした。定時になっても現れない。駅前を歩くとNさんがいつものベンチに何事もなかったかのように座っている。約束の話をすると、なんのことだかわからないという様子だった。どうやら軽い記憶障害があるようだ。

何回約束しても忘れてしまうので、こうなったらと、近所に住んでいる障害を持った友人に車いすを借り、市役所に連絡して歩行困難なNさんと一緒に即日生活保護申請をすることにした。

申請に同行させていただき、ご自身の状況を説明するのが難しいNさんのアドボカシーをさせていただいた。話し合いの途中、以前からおつきあいのあるケースワーカーさんから、「高浜さん、ちょっといいですか?」と別室に呼ばれた。

ケースワーカーの方が開口一番、「高浜さん、あの方どんな方がご存じですか?」となんとなく切迫した面持ちで問われ、「いいえ、最近お会いしたばかりなので」と答えた。その後、Nさんの詳細についてケースワーカーさんが説明してくれた。

どうやらNさんはとある刑務所から出所したばかりだという。今回は3年間刑に服していたが、以前にも20回以上の服役歴がある。ほとんどが窃盗などいわゆる軽犯罪というものだ。しかもNさんは軽い知的障害、認知症、骨頭壊死による下肢障害、などなど複数の障害を持つ重複障害者だった。

反社会的組織のメンバーだったこともあるNさんの人生のほとんどが、いわゆるムショ暮らしだった。刑務所から出たものの、いわゆる無料低額宿泊所という施設にも受け入れを拒否されたNさんは、やむかたなく路上での生活を余儀なくされていた。

衣食住が全く保障されない路上生活をしていたNさんにとって、刑務所はまさしく住居であり、Nさんにとっての軽犯罪は、居所を確保するための手段だった。

すなわち、Nさんは、いわゆる累犯障害者の一人だった。

生活保護申請は無事受理され、Nさんのアパート生活がスタートした。と同時に、ホームレス支援活動を共にしていた仲間の多くが障害福祉サービスの提供をお仕事としていたため、ケアマネージャーさんを中心にNさんの在宅生活を支えるためのサービス提供体制を構築し、私もヘルパーとして支援チームのメンバーとなった。

また、生活保護の受給決定をする調査の過程で、Nさんのお母様が長野県のとある養護老人ホームに入所されていることが判明した。Nさんに事情を話し、お母様に会いたいか聞いたところ、ぜひ!とおっしゃったので、高齢福祉の分野で仕事をする私の弟とその同僚の力を借り、Nさんとお母様の再会プロジェクトを計画し、実行した。

施設に到着し、職員の方にご案内いただき、面談室に向かった。Nさんのお母様がソファーに座ってらっしゃった。Nさんのお母様は90歳を超え、Nさん同様に認知症を発症していた。認知症の母と子の数十年ぶりの再会である。

お二人とも認知症であり記憶障害があるため、もしかしたら覚えてないかも、という懸念があったが、お二人ともしっかりと覚えてらっしゃった。二人で昔話をし始めた。

1時間くらいの時が立ち、そろそろ帰りましょうか?と声をかけた。そうだね、とNさんがいくぶん寂しげな声で答えた。

Nさんに車いすに乗ってもらい施設を出ようとすると、お母様が突如号泣し始めた。泣きながら、元気でやれよ!と連呼した。何度も何度も連呼した。止むことがなかった。

Nさんも泣き始めた。駐車場につき車に乗り込むときも、お母様の慟哭ともいえるような泣き声が、養護老人ホームのある山奥に木霊していた。

Nさんの社会的支援を活用した在宅生活の日常が再開した。その後Nさんの生活も安定してきたころに、私はデイサービス土屋の立ち上げに参加することになり、Nさんを支援するチームからフェイドアウトしていった。

ある日、担当ケアマネージャーの方から電話があった。私が管理者と生活相談員を務めるデイサービスにNさんに通所してほしいとのこと。はじめはなんのことだかわからなかった。Nさん宅からデイサービス土屋まで徒歩と電車を合わせると1時間半くらいかかる。決して近いとはいえない距離だ。

事情を聴いたところ、ケアマネージャーさんとしてはなんとかNさんにデイサービスに通所してもらい将来的には入所施設に入る必要があるのでその準備をしたいとのこと。

またNさんの障害も日に日に重度化していき、やはりバリアフリー環境で入浴などをして清潔保持をしたい。ただし、長年のムショ暮らしで集団生活に極度の拒否感と恐怖感のあるNさんがどうしても首を縦に振ってくれない。

私と1週間に1回再会するという名目で、デイサービス土屋中野坂上に通ってみてはと提案したら、それならいいよ、と快諾してくれた。往復についてはボランティア団体がサポートしてくれるようだ。

というわけで、週1回、1回片道1時間半をかけたNさんのデイサービス土屋への通所プログラムがスタートした。

Nさんが来てくださったときは毎回私が入浴を担当させていただいたが、時折、またおふくろに会いたいなーとつぶやいていた。

お風呂に入っているときのNさんは、とっても気持ちよさそうだった。

料理自慢の調理スタッフが作ってくれたご飯を食べるときのNさんも、すごくご満悦の様子だった。

人生のほとんどの時間を刑務所で暮らしていたNさんと、そんなことはまるで知らず長年大学で教鞭をとられた別のご利用者が会話をしている場面も、全く違和感がなかった。

なぜこの人は人生のほとんどの時間を刑務所で暮らさざるをえなかったのか、ちょっとしたボタンの掛け違いだけではないのか、別の人生、別の道もあり得たのではないか、という思いがわくことがあった。

デイサービスで集団生活になれ、心理的安全性を回復したNさんは、その後ケアマネージャーさんの提案を快諾し、地域の特別養護老人ホームに入所された。

以来、Nさんとは会えてない。その後どうしているかもわからない。

最後にNさんと会ってからだいぶ時間が過ぎた。

しかし、Nさんの、またおふくろに会いたいなーというお風呂場でのつぶやきは、鮮明な記憶として私の脳裏に刻まれている。

 

◆プロフィール
高浜敏之(たかはまとしゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。

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