あまりに向精神薬を飲んでいる人が多い。とくに若い人が飲まされていることに仰天する。飲みながらも、必ず止めようと思って飲んでいるのならまだいい。中には、薬がないと生きていけないのだと信じ込んでいる人も多い。
向精神薬に依存するというのはこれ自体、依存症という精神の病だろう。ところで私も、長い間60代半ばまで、つまりつい最近まで月に何度かは激しく希死念慮というものがあった。あまりにも日常の中にある思いだったので、それにそんな大層な名前がつけられているということは知らなかった。そしてそれを知ってからもそれはうつ病の一つの症状だということを読んで驚いた。
私自身を筆頭に私の周りの人は多かれ少なかれ死にたいという思いを抱いている人ばかりだと思っていた。なぜなら世界には辛いことが溢れている。
人類は平和をのぞみながら、戦争は、そっちこっちで続いている。たとえ戦争はなくてもさまざまな命は殺され続けている。つまり肉食で一秒間に4万もの命が失われているのだ。
また。プラスチックはよくないと知りながら、大企業はただただ経済至上主義でつくりつづける。それをまた自己責任論に巻き込まれながら大量消費を繰り返す人々。ペットボトルの最大生産企業はコカコーラボトラーズだと聞く。私自身では全くと言っていいほどペットボトルを買わない。しかし私が買わなくてもプラスチックゴミは増え続けている。
また、食べ物の問題も深刻だ。ゲノム編集、農薬や化学肥料などの薬物。そしてその上食品添加物の使われ方は世界最高だ。コンビニに行くと20年30年前の食品とは様変わりした安心できない食品が目白押しだ。だから私はコンビニやスーパーではほとんど何も変えない。何よりコーラとかジュース類のブドウ糖はもうすでに遺伝子組み換えだし、大量の糖分は、健康を害するのだということを伝えたくなる。
しかし年上で、ヴィーガン的ライフスタイルで、SDGsには???の私が若い人にいちいち言うのも疲れるなあと感じるわけだ。また私は感じたいわけではないが、電磁波や化学物質に身体が反応することがよくある。
先日、電磁波過敏症の人が楽天に要望書を書いたという記事を読んだ。あちこちで電磁波の基地局に対する取り組みが起きているが、私はそこまではしていない。日本はありとあらゆる電気の生産と消費について、世界の最先端と聞くと「すごい」と思われるかもしれないが、要するにいらない電力を使いすぎているだけだ。地球を宇宙から見た時に、闇の中で一番明るい国は日本だという。
自動販売機もコンビニもこんなに小さい国に無数にあるかのようだ。環太平洋の火山帯の中にありながら、つまりニュージーランドと並んで、地震大国でありながら、原発を作り続け、現在54機もある。東北大震災の大惨事からもまったく学ばない政治家たち。
政治をちゃんと動かせば社会は変えられると知っている人も多いのに、それがなかなか若い人には伝わっていない。教育のあり方があまりに酷かった故だろうに、それをかえりみることもなく、異様な労働を強いられている教員たち。彼らの中にも向精神薬を飲んでいる人が多いという。
なんだか無力感の羅列のような文章になっているが、そうした現実があるから希死念慮は当然だと思っていたわけだ。そしてそれを「うつ病」と名付けられて、薬を飲む人と飲まない人にまた分けられる。
私はもちろん飲まないが、これからもどんなに精神的に辛くても絶対に飲みたいとは思わないだろう。希死念慮との付き合い方で一番効果があったのは、それを感じ、それに捕まったときに、まずその自分を許すということだ。
こんなに矛盾の多い世の中だから、まず感じるのが当然であって、責める必要はない。とにかく一旦希死念慮を許し、それからそのあまりの辛さを聞いてくれる人を探してきた。希死念慮の背景には、それをもたらす原因、理由が必ずあるのだ。
それを聞いてもらうことによって、少し涙がでる。そして、希死念慮でさえも単にパターンであって、今の現実の中に死を希求する必要はないと気づく。私の身体は、生まれたばかりの頃から10代に入るまで、本当に死が近かったから、いつのまにかそちら側に行くことが解放であると思い込むようになったのだろう。
ところが身体の現実は生きていきたいというものだ。いくら死を念じ望んでも生きようとし続けてくれる。20代になってからはその身体の声の中で、さまざまな冒険を繰り返した。
生きていきたいにも関わらず、タバコやお酒、セックス等を使った時期が30代くらいまで。30代になってピアカウンセリングを伝えることになってから、希死念慮と向き合う時間が随分増えた。
死にたい思うことの大きな原因が原発の存在であると考えて、涙でそれを押し流そうと10時間ひたすら聞いてもらい泣き叫んだこともあった。また、幼い時には母親なしに自分が生きていけると思っていなかったので、母親が亡くなった時と大失恋の時も何百時間も泣いたと思う。
今日の結論は、もし向精神薬をやめたいと思うなら、身体の生きていこうとする力の最高のパートナーは涙であると伝えたい。中国からの帰還兵のインタビューを集約した野田正彰さんも日本人がこれ以上間違わないために、悲しむ力を取り戻すことを『戦争と在籍』という本で伝えている。
向精神薬は悲しんで涙を流す力を押し留めてしまうものだ。私たちは大いに泣いて悲しんでいいのだということを一人一人の身体で思い出してほしい。それは私たちが生まれたばかりの時に使っていた懸命で賢明な能力だったのだから。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。