【異端の福祉 書評】ついていくしかない。 / 佐藤美智子(ホームケア土屋 山形)

ついていくしかない。 / 佐藤美智子(ホームケア土屋 山形)

それまで私は、夫と長男と暮らす専業主婦だった。長男は、重度の知的障害をともなう自閉症で、幼い頃から身体が弱く、大人になった今も喘息とてんかんの薬を飲んでいるが、ようやく生活習慣が安定してきた。そんな私が土屋の前身の会社に入社してから三年、この仕事を続けていく自信がやっとつき始めたところだ。

社長のことはこれまであまり存じ上げなかった。全国区の大きな会社の社長と、地方の非常勤の私とは関わることもないと思い、関心も低かった。それでも社長の姿をWebで拝見すると、見た目がシュッとしてはっきりとお話しされる姿や慶応大学出身ということもあり、こちらは勝手に、社長はいいとこのボンボンで、御曹司なんだろうなあと想像していた。イメージだけで、私とは住む世界の違う、「異界」のひとだと思っていた。

本を読ませていただいた。自分で注文して読み始めたところ、会社から一冊プレゼントされた。それで一冊は家に置き、もう一冊は現場に持っていく。幻冬舎という有名出版社から出版されたことで、会社のことを説明するのに名刺代わりになるし、障害者の権利運動、法律の変化も載っているので、私にとって必要な情報源にもなっている。

この本を読んで社長の波瀾万丈の人生にまず驚かされた。ボクサーを目指したご自身の生い立ちなど予想もしなかった。本の中ではあまり分量を割いていないが、本当ならばその部分だけで一冊書けたはずと思った。

私はもっと「底つき体験」時から復帰するまでの心の葛藤や変化を知りたかった。次回書かれる時は是非そこのところをお願いしたい。それでも内容は盛りだくさんだ。障害者権利運動の歴史、重度障害者の葛藤、国の法律や制度の歩み、社員の紹介等々。

障害のある子の親として、障害者の権利獲得には高い壁がいくつもあることは、経験上想像がつく。サービス一つ利用するにも、煩雑な手続きが必要で手間がかかる。まして、新しいことをお願いすると「予算がない。前例がない。」と断られてきた。

例えば私は、養護学校の役員として県に要望を何年も提出してきた。スクールバスの運行や、タブレットの導入などをお願いしたことがあったが、当時の回答は、「バス一台だけでも年間800万円の人件費等がかかるのでダメ。」「タブレットは子どもが壊すからダメ。」ということだった。

未だに山形県は、障害のある子どもたちの送迎にスクールバスが使用されていない全国でも珍しい県だ。最近、タブレットは一人一台支給されたが、やはり壊されると困るので学校に置いて帰らせるそうだ。私は、障害のある子どもを持ったことでいろいろとあきらめることに慣れてしまったのかもしれない。

もちろん、障害のある子どもをもったことを、不幸とはこれっぽちも思っていない。ところが、社長は違った。何度も行政にぶつかっていく。人生がもう不屈のボクサーみたいだ。

94ページの「自分に変えられないものを受け入れる落ち着きと~」のフレーズは、社長の「生きる指針」とあった。私は、鳥肌が立った。というのは、私も新聞で見た「変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を」〈米国の神学者の言葉〉というフフレーズに感銘してノートに書き写していた。多分出典は同じだと思う。偶然の一致に興奮した。

また、121ページでは、「いちばん困っている人を今すぐ助ける」と言ってくれている。重度の障害者の親として、この力強い言葉に感謝で涙が出た。弱い者を最優先で助ける。正論で当たり前のことだ。でもそれは、夢や理想であって現実にはないものと思っていた。

社長は、行政に何度も挑み、逆に法律・制度を最大限に活かし「小さな声」の受け皿を作ってしまった。少数弱者の生活支援をビジネスにしてしまったことが「異端」なのだ。社長は、夢とか理想とか思っていないだろう。そんなことは、軽々と飛び越えて、実現させるという強い意志がある。「小さな声」を自分のこととして、反応してしまわずには、いられない人なのだ。

すごい人だ。こんな人がいてくれて、ありがたい。いいとこのボンボンなんて、勝手に思っていたことを許してください。社長は、日本の国全体の障害者の権利をすくい上げ、彼らが長いこと夢見てきた生活を提供している。

そんな社長の思いと、東北の田舎で日々現場に通う私の思いが、地続きであると感じる。私もその「異端」に関わっていることが、嬉しい。非常勤だが、体力の続くかぎり、ついていくしかない。

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