土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて⑭ / 高浜敏之

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

14私が出会った障害者運動の先駆者たち③ 『安積遊歩さん その2』

職場が近かったこともあり、その後安積さんとの交流は深まっていった。まずは安積さんがアメリカから日本に紹介した再評価カウンセリングを学ばせていただいた。

再評価カウンセリングは労働運動の活動家だったハービー・ジャキンズが開発したといわれる。人種、性別、年齢、障害の有無などに関わらず、時間を対等に分かち合いながら互いの話に耳を傾けあい、自分自身の傷ついた経験を想起しながら感情表出し、傷からの回復と、その傷の結果としての思考や行動の固定化されたパターンからの解放を目指すワークだ。

またコミュニティーとしては精神の解放のみならず、差別や抑圧や貧困などの社会問題の解決と社会的抑圧からの解放もそのビジョンとしてかかげていた。安積さんは社会的差別や抑圧と闘いながら内面の解放や傷からの回復にも取り組んだという意味では、再評価カウンセリングの哲学を代表しているようにも思えた。

若かりし日に内面のテーマに憑かれて文学や哲学や思想や宗教に傾倒し、また障害者運動との出会いを通じて社会運動や抑圧からの解放というテーマに可能性を見出し、深くコミットしていった私としては、彼女の取り組みや足跡に、何のために私たちが生きるのか、与えられた命を何のために使っていくのか、という問いに対する回答を発見したように思えた。

正直、再評価カウンセリングのワーク自体に私自身がすんなり適応できたかというとそれはそうでもなく、どちらかというとかなり苦戦した。完全な劣等生だった。

女性が圧倒的多数を占めるコミュニティーの中で過ごす時間はむしろ居心地が悪かったというのが率直な感想であり、迎える側のコミュニティーからも不純物が舞い込んできたという他者感を与えているという被害者意識すら感じた。

また私も違和感を言語化しないではいられないような質であり、そのことがワークを担当されるコーチ的な存在の方々に煙たがられているという自覚もあった。

週1回学びの機会があり、適当にさぼりながらも安積さんに促され、修行あるいは苦行のようなつもりで初心者クラスに参加した。

ちなみに再評価カウンセリングは、酒やギャンブルやカフェインやたばこなどいわゆるアディクションを、傷を隠蔽するものとして否定した。だいぶ前に禁煙はしていたが、若い頃から耽溺した酒やギャンブルをやめるつもりは全くなかった。

そのことについて顔を合わせるたびに安積さんに指摘されることも、実に鬱陶しく感じたが、尊敬する師匠のような存在からの言葉なので、目の前では「そうですね~」と頷いてその場をしのぎ、家に帰るとまたボトルを空けて憂さ晴らしをした。

正しいことを言われると、それが正しければ正しいほどますます反抗したくなるという、いわゆる中2病のような心理状態にあった。アルコールなどのアディクションから解放されて10年以上が過ぎた。そんなクリーンな日々を過ごさせていただいた今となっては、そのように思い返される。

35歳の春、底つき体験がやってきた。いまだかつて経験したことのないような崩壊感覚が突如やってきた。

障害者の介助のお仕事をしながら全国公的介護保障要求者組合の事務局のお仕事を担わせていただいた。両方とも非常にやりがいを感じさせていただいた。

障害者運動との出会いを通じて社会的抑圧という構造的暴力を発見し、解放運動を横断するようになっていった。ホームレス支援や難民問題など様々なテーマを探し求め、コミットの可能性を模索した。

安積さんから学んだ再評価カウンセリングコミュニティーの思想は活動の内的な礎となった。

それと同時に年老いた両親を扶養する義務もあった。お金が必要だった。早朝は清掃のバイトを、夜は塾講師のバイトをした。ストレスがたまった。酒やギャンブルに耽溺することでつかの間の解放を感じた。ますますお金が必要になった。ますます働いた。活動にものめりこんでいった。際限ない自分いじめの負のスパイラルに突入していった。

ある日、私の精神と身体が私に悲鳴を届けてくれた。表層意識は「まだまだ」と伝えるが、私の無意識は「限界だ」と断言した。私の心と体が壊れた。35歳の春だった。気づかずにそのままさらなる破滅に向かって爆走することもできたかもしれないが、安積さんのかねてよりの忠言が思い出された。

医療機関からも「依存症」というれっきとした診断名をいただいた。この病からの回復の特効薬はないとも言われた。必要なのは「やる気」と「環境」だった。

居心地の悪さを感じた再評価カウンセリングのコミュニティーや、安積さんが住まわれるシェアハウスを思い出した。泥の河を泳ぐような日々を送ってきた私にとって、クリーンな場所とはそこしか思い当たらなかった。

回復プログラムの序論を数日間、そのシェアハウスとコミュニティーで過ごさせていただいた。10台後半からはまり込んだ酒やギャンブルなどアディクションからの解放という闘いが始まった。

尊敬する師匠は恩人になった。

以来、一滴も酒を飲んだことはないし、一度たりともパチンコ台の前に座ったことはない。

いささか大げさな言いようかもしれないが、「命を見守られた」という宝物のような記憶が私に宿った。ぼろ雑巾のようになった心身は、徐々に、確かに、健康に向かって歩みだした。健康になった心身には「こんどはお返しする番だ」という未来のビジョンが宿った。

ボロボロになった時、安積さんたちのシェアハウスに身を寄せ、そこで見守られた経験と記憶は、介護難民問題の解決やケアワーカーの社会的地位の改善に全力を注ぎたいと思う私のモチベーションの欠くべからざる水脈となっている。

 

◆プロフィール
高浜 敏之(たかはま としゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。

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