『わたしの心象風景』【前編】 / わたしの

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様

(正午の管楽よりもしげく琥珀のかけらがそそぐとき)

四月の気層のひかりの底を私は歩いている。

また今日も娘と二人、散歩している。

寒くもなく、暑くもなく、気温がちょうどいい。

娘はずっと喋ってる。

娘はずっと走ってる。

転ぶから危ないよ、と言っても、体を動かすことがたまらなく嬉しいというように全身全霊走ってる。
そして時々本当に転ぶのだ。

痛い、痛い、と泣く。

お家に帰ってから「あーぶーぶシール(大丈夫シール)」(絆創膏のこと)を貼ろうと言ってなだめるとすぐに泣き止んで、また走る。

この道は、新しくできた道。

ずっと果樹園だった。

木々は抜かれ、更地となり、工事車両が来て家が建った。いつの間にか新興住宅地となり、道ができた。

世の中では空き家が問題になってるのに、どうして次から次へと畑や林がなくなり新築の家が増えていくのだろうか、それが疑問だった。

道には子どもたちがたくさんいた。
一番最初の緊急事態宣言のときは、家の前にブルーシートを広げてお店屋さんごっこかな、おままごとかな、遊んでいる親子の姿があった。

いつも道路でコンロを囲んで肉を焼いて突き合ってるおじさんたちがいた。

新興住宅地の突き当りの左の家には女の子がいて、いつだったかその子のおもちゃのカメラが欲しくて娘が家まで追いかけて行ってしつこく食い下がったことがあった。

娘は欲しいものがあるともじもじしながら静かに近付いて行って、欲しそうな雰囲気を出す。優しいお母さんだと「遊びたいの?」と貸してくれる。
しかし一度借りると返すときがたいへん。
返したくないと泣くのである。

自分の物にしたい!

この住宅地で優しいお母さんがいて、いつだったか娘を三輪車に乗せてくれた。
娘が三輪車を漕ぐスピードに合わせて、私とそのお母さんも並んであとから付いていった。
ほんとうに辛い時期だったから、その優しさがとても身にしみて嬉しかった。
隣を歩きながら、この人は心根のきれいな優しい人だな、と思っていた。

次に会ったときもお礼をしよう、と思った。

しかしタイミングが合わなくて、それっきりその人を見かけなかった。

小さな公園の黄色い飛行機の遊具。

まるい二つの白い椅子。

ネギや大根などが植えられている畑を抜けると駅から延びているバス通りに出る。
この道に出るところからは必ず手をつなぐんだよ、と娘には言ってあった。

右に行けば居酒屋、スーパー。
左に曲がるとカラオケスナックがあり、お店の前に貼ってあるポスターが面白かった。
お店の売りが大きな文字で書かれているのだが、「?」と「!」を間違えているとしか思えない。

「安いよ!音響もいいよ!広いよ!」

と、きっと言いたいのだろうけど、

「安いよ?音響もいいよ?広いよ?」

と疑問形で書かれているのだった。

そのお店を通り過ぎると道祖神のある辻に出る。

なんの変哲もない道だが、きっと江戸時代よりも前からある歴史的な道の面影だけ残しているのだった。
妻とバイクで二人乗りしてはじめてこの土地を訪れたときもいつの間にか迷い込んでこの辻に出た。
暑い夏の午後だった。

あれから十年が経とうとしている。

辻には床屋、整体、ペットのトリミングのお店、美容室、公民館、怪しいスペース(高齢者たちが集まって何か講習を受けたり、販売会が開催されるようなスペース)があった。

薬屋の2階。お客が全くいない。
異国の人々が営業するレストランがあった。

このレストランは屋外にパラソルとテーブルを並べてそこで食事をすることが可能だったので、何度か娘を連れてきたことがあった。
娘にジュースを注文すると「サービスです」と笑顔で届けてくれた。お客がほとんど入っていないのに、そんな無料サービスやってる場合?大丈夫?と思っていたら、やっぱり潰れてしまった。店員さんはみんな気のいい人たちばかりで優しかった。

はじめの緊急事態宣言が明けてしばらくたった頃、夏、私はひどい疲れと鬱に追い込まれていた。わずかに(たしか3時間くらい)一人きりになれる時間ができて、「命からがら」という表現が大袈裟ではないくらい駆け込むようにこのレストランに向かった。

そして「命からがら」レモンサワーを注文した。

真夏の昼間に久しぶりに飲む貴重なレモンサワーは飲んだ瞬間に体に染み込み、炭酸と爽やかな酸味が硬直していた体と心を柔らかく解きほぐしてくれた。砂漠が潤っていく感じがした。恵みの雨だと感じるくらいに心身ともに乾ききり、荒れてひび割れていたのだった。
一口飲んでその衝撃でしばらく動けなかった。
バカみたいに口を開けて目を見開いて、蝉の声を聞き、ゆっくりと上昇していく積乱雲を見ていたのだった。

人生で飲んだ中で一番うまいレモンサワーだった。

多分もう二度とは飲むことはできないだろう。

心から救われた。

あの経験は忘れられない。

【後編】につづく

*文頭の詩は、宮沢賢治『春と修羅』より

 

 

関連記事

TOP