今まで生きてきた中で、あなたの「恩人」はと聞かれると、「人生の恩人」と「命の恩人」というテーマが浮かびます。まずは、「人生の恩人のはなし」です。それは、私自身が青春時代の全てを費やしたであろう、バスケットボール部時代のはなしです。
小学校4年生から高校3年生までの期間、コーチとして携わって下さった先生方からの、時には厳しく、時には優しく、一弛一張な指導を受けた時代がありました。もうだいぶと月日が経つので、記憶が錯綜していることもあるかと思います。
今から振り返ると、あれはまさしく“飴と鞭”だったなぁと思い返す日々ばかりですが、一番記憶に刻まれていることがあります。私が中学1年生の時、よくある思春期の反発心から、ちょっとした不祥事を度々起こしてしまう時期がありました。
その時、コーチから呼び出され本気で怒られ、いきなり髪の毛を掴み、よく教室にある、アルミでできた本棚に勢いよくぶつけられ、「お前は勉強でも、かわいさでも、一番にはなれないけど、このスポーツで!!バスケだったら、この学校で一番になれるんだよ!!なのにどうして、もっと頑張らないんだ、本気でやらないんだ!!」「一番になれる素質があるんだよ!!」と大声で怒鳴られました。
その後、いろいろと心改めなければならないことを告げられ、一定期間自宅謹慎となりました。一緒に怒られた子は泣いていたのですが、私は、両親が厳しかったこともあり、ある程度、罰慣れしてしまっているところもあったので、血の気が引くような感覚はありましたが、動じずに話を聞いていました。
自宅謹慎中に入ると悶々と湧き上がる、後悔と反省、疑問、苛立ちと怒り、様々な感情がありました。もともと私は、自己肯定感や自尊心がとても低く、自分に対し何の自信も持っていなかったので、(何が私が一番になれるなん?何が、素質なん?ただただ、けなされて、おデブで鈍くさい。というレッテルを貼られて育ってきたのに…。でも、勉強で一番になれないのは分かるけど、かわいさで一番になれないって、めっちゃ失礼やん!!なんなん、なんなん、めっちゃムカつく!!)
そんな思いを巡らせながらも、数日後、私はびっしりとお説教を食らった先生に、誰から指示を受けたわけではありませんが、謝罪の手紙を書き手渡しました。内容はそれほど覚えていませんが、失った信頼を回復させるために、頑張ります。というような内容だったと思います。深々と反省し、学校や所属チームの一員であることを自覚して、毎日行動しなければいけないということを理解できた年でもありました。
そして、コーチから投げかけられた言葉をきっかけに、この時期から悔しさをバネに、また、“怒りの原動力”というものを身に付け、上手くなりたい、一番になりたい、自己新記録を更新したい、チームで勝ちたい、目標を達成したいと、常に目標を立てて取り組むようになりました。
コーチからは、色気づくな、男になれ、一番になれと言われたので、髪は刈り上げ、ショートカット。自主朝練や、夕方の学業後の練習前に、腕立て・腹筋・背筋を100回ずつしてから練習に入るなど、いろいろと体力や技術を強化するための方法を実践していくようになりました。
コーチからは「だいぶ男らしくなってきたな(笑)」「今は頑張ってるから、それでいいんやで」など、にかにかと笑いながら観察されていました。
両親は、共働きで忙しく、塾通いもあり、コミュニケーションを取る時間は少なかったのですが、私自身が楽観的で単純な性格だったこともあり、上手く矯正されていったと思います。ベテランコーチの指導やチームマネジメント力のおかげもあり、中学時代では、1年生大会で一回戦負けから、引退前には、市で3位、府で16位という記録を残すことができました。
中学3年生になり、引退式の時には、一番最後に記念品を渡され、「お前は人間が180度変わったな」と言われ、「お世話になりました」と返答すると、コーチらには大爆笑されてしまいました。
こうして「人生の恩人」となった、小・中・高校生時代の情熱的な教師やコーチの方々のおかげで、私の青春時代は、努力することや逆境を乗り越える喜びを知ることができた、人生の中でも濃密で貴重な時間となりました。
次に「命の恩人」のはなしです。
私にとって「命の恩人」とは、この世に生命を宿して下さった両親です。やはり両親の力は偉大です。生まれてきて何もできずに、ただただ泣いていた乳飲み子の時期から、毎日衣類を着替えさせ、食物を与え、入浴をさせ、泣き止むまであやし、不快症状をなくし、世話をして下さり、怪我や病気をしたときには心労を掛けていただき…の繰り返しでした。
高校へ進学してからも、チームで一番になるぞ!と、何かと自己新記録を達成しようと頑張っていたのですが、トレーニングや減量、学業、両親が忙しかったので家事手伝いや、塾通いもあり、忙しく充実した日々だったのですが、ある日電車に乗って出かけた先から、意識が朦朧となり道に迷い帰宅できなくなったり、授業中や部活途中に、物凄い倦怠感に襲われる、ということが続きました。
様子がおかしいと察した母は、私を脳神経内科へ連れて行きました。特に脳には何も異常は無かったのですが、“栄養失調と過労”と診断され、もう少しで死ぬところだったと言われたそうです。(要は、さほど栄養をとらずに、トレーニングを続けてしまいました。)
お医者さんから「目が腐るほど寝てください‼」と言われ、安定剤のようなお薬を飲んだと思うのですが、3日ほど寝続けていたそうです。(その時の記憶は余りありません^-^;)
その後母は、私の健康を気遣い、やたらと栄養ドリンクやサプリメントといった栄養補助食品の摂取を勧め、そのおかげで何とか体力も回復し、進学・就職・結婚・出産・育児・職場復帰という過程を経ることができました。産後に再度体調を崩してしまったのですが、副腎皮質ホルモン剤を服用することとなり、体力のいる育児期を乗り越えるには大変助かりました。
両親の心温かい手当てやサポート、医療を受けなければ、自分や子どもたちも生きてこられなかった現実があるので、私にとって、かけがえのない「命の恩人」です。
そして、また忘れてはならないのは、現在の会社を立ち上げ構築してきてくださった、社長やスタッフ、多種多様な職種のご関係者様への恩です。この会社へ入社していなければ、現在の生活も成り立っていませんでした。
ワーク・ライフ・バランスに合わせ、勤務の調整、研修や勉強会へはリモートで参加、日々の業務連絡の完全なICT化により、しっかりと勤務時間を確保しながら、資格取得の勉強や、子どものサポートをすることが実現できています。これからも、今まで出会ってきた沢山の方々への恩を忘れることなく、生きがいや、理想や目標を見失わずに、生きてゆこうと思います。
川邉会美
ホームケア土屋 大阪