もう、頬杖はつかない Part 2 / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私は先天性脳性麻痺による全身障害がある。そしてその障害は加齢とともに悪化していて、私の身体は、仕事漬けになってやれ営業だ、やれ顧客との打ち合わせだのと動き回っていた30代、40代の頃と比べると確実に動きが悪くなっている。

その理由は、先ずは二次障害(頚椎症)の進行があるだろう。しかし、本稿Part 1で述べたことをきっかけに、その二次障害発症の前提は「加齢」、つまりは「老化」にあるのだ、と考えることにした。

尤も、もっと若いころから発症し苦しんでいらっしゃる障害当事者の方々が大勢いらっしゃるので、この考え方はあくまでも私の個人的なものであることを、ここで断っておきたい。

今、自分をやや真面目に分析してみると、実は、そう遠くない将来、自分が動けなくなることがさほど怖く感じない理由が3つほどあることに気が付くのだ。

その一つ目は、自力では出来ない事があるという現実を受容することに慣れているから、という理由だ。

63年生きてきた中で、出来ない事があるという現実を突きつけられることが多くあった。そんな機会が多すぎると、かえって毎回毎回、悲嘆に暮れるのが面倒くさくなる。いや、時間とエネルギーの無駄遣いに思えるのだ。衝撃に慣れてしまうのだろう。一種のパンチドランカーだ。

だから、出来ないことがある=自己評価の低下、とはならず、与えられた条件の中で、どうすればもっと楽しめるかを考える。ちょっとした思考の切り替えだが、まさにこの点が、人生を苦しむか楽しむかの境目なのかもしれない。

現実は変えられないのだから。その解釈を変えるしかないだろう。

二つ目は、自分自身の能力を過信していない、という理由だ。

私はよく他人から、自信家だと言われる。確かに自己肯定感は強い方かもしれない。今、土屋で最高文化責任者などという大仰な肩書をいただき、企業文化・社風の創生だの、情報発信だのをやらせてもらっているけれど、本来は、旧ソ連で育つ中で、あの泣く子も黙るオソロシ~KGB(国家安全保障委員会)のやり方を自然と体得してしまった只のアジテーターなのかもしれない、と思わないでもない。イヤなヤツだなぁ、俺って・・・。

ただ、私の根本には、自分を肯定し自信を持つことと、自分の能力や技術・スキルに自信をもつことは別であるという考えがあって、私は前者しか持っていないのだ。

能力や技術・スキルなどというものを問題にすれば、自分以上にデキる人は五万といるし、自分が今持っている技術やスキルなど、あっと言う間に陳腐化してしまうもので、次から次へと新しいものを仕入れていくしかない。だからこそ、そういう類のものに対する自信は、身の丈くらいまでがちょうど良いのだ。

だから、何かが突如として出来なくなっても、苦しいと感じる必要はない。原因が加齢と障害だとしても、結果は同じだからだ。

三つ目は、将来に悔いを残さない生き方を目指しているから、という理由だ。

私の場合、「死」に該当する概念が二つあると考えている。一つ目のそれは、身体が全く自分の意思で動かせなくなると言う死であり、もう一つは、生命の終わりという意味の死だ。

そう考えていれば、自分が比較的自由に動けるうちにやりたいことを、やるべきことをやるしかない。それは、私にとって一種、終活のようなことである。

そういう死を意識していれば、その手前で生じる不自由さへの準備が自然と念頭に挙がるので、身動きできなくなるかもしれないという恐れが心をよぎっても、それまでに何をするか、そうなったときにどうするかを考えられるようになる。

死生観はひとりひとりの考え方を形作る上で大切なものであり、ここが明確かどうかで、まったく同じ背景にあっても、生きることが楽しいのか、苦しいのか分かれるのではないだろうか。

私の死生観は、「ともかく生き続ける。生きてさえいれば、そのうち何かいいことに巡り合える」だ。

だから、私はできる限り長く生き永らえたいと思っている。だが、その際に、周囲に嫌がられて、避けられてしまうような状況だけは、また、正しいのは自分だけだと思いながら実は孤独に陥ることだけは、何が何でも避けたいとも考えている。

自分の辛さ、痛みにだけ目を向けてしまうと、いつの間にかそういう状態に陥りやすいのが人間の性(さが)だろうとも思っている。

それこそ、生き辛さや心身の痛みなんていうものは、ストレスと同じようなもので、適度になければ生きる意欲が湧かない。ちょっと生きづらいくらいが、生きていく上でのメリハリがある。多すぎたら減らさなくてはいけないし、少なすぎたらちょっと足したほうがいいくらい。そういうものなのだ。

だからこそ、もう、頬杖はつかないのだ。

 

◆プロフィール
古本聡(こもとさとし)
1957年生まれ。

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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