私の知らないみんなが知ってる私、私もみんなも知らない私~創業2周年をむかえて~ / 吉岡理恵(取締役 / CLO最高法務責任者)

創業2周年の土屋を見渡してみると、様々な人がそれぞれの可能性を広げているように思います。
これまで多くの人と話をしてきましたが、個々人のキラリと光る考え方、介護に対する姿勢、介護以外の知識・経験の深さが、土屋の2年目で息吹をあげはじめたという感覚です。

確かに当社は介護・福祉事業を営む会社なのですが、必要なのは介護現場で応用の利く能力だけではなく、マネジメント、リーダーシップ、コンプライアンス、マーケティング、ブランディング、リクルート、セールス、CS・ESなどいわゆる会社組織で必要なことは、当社においても言わずもがな重要なスキルであり、こうした介護の枠だけにはまらない領域で、質の高いパフォーマンスを発揮する方が増えた、というのが創業2年目の所感です。

思えば純粋に「介護現場の仕事だけを貫き通したい」という人は、私を含めそれほど多くなく、業務の幅を広げることや、キャリアアップを志向すると、おのずと視野や視座を変える必要があり、そのためには何らかで培ってきたスキルに「プラスアルファ」をしながら進んでいく必要があります。

そしてそのプラスアルファとなるものは、振り返ると職業観、組織観、人物観を土台にして造られているように思います。職業観については、当社では、どの部署においてもリーダーシップを担うのは「現場出身の人間」であり、はじめは現場から、というのは新入社員向けオリエンテーションでよく耳にすることですが、それは介護職という「職業観」を身につけることができるからだと思っています。

そして「組織観」ですが、これは土屋という組織の「染色体」と例えてもいいのかもしれません。ただ、この染色体の数や形の分析が、誰においてもすべてはできていないのではと思います。ヒトは46本、チンパンジーは48本といった確定値が、土屋という組織の染色体においては、おおむね分かっているけど、あとどのくらいか分からない、もしかしたら現在把握しているものも氷山の一角で実はもっともっとたくさんあるかもしれない、といった感じです。

これは組織に対してだけでなく、人物観にも同じようなことがいえると思いますが、そういうなんとなく分かっているけど、もう一つ分かりきらない世界に身を置いて日々の業務をすることは、なかなかにしてストレスです。

私はこの2年、このすべてを把握しきれない土屋の組織観に、自分の役割をどう映写させていくかについてはそれなりに葛藤してきたように思います。それは、役割というものに付随する、評価と承認があるようでない、ないようであるという、これもまた、一つの土屋の組織観を形成するものですら、そのぼんやりとした輪郭が見え隠れする渦中にあったからでした。

それでも進んできた結果として、私自身の映写の仕方というのは、自分なりに体得してきたように思います。それは、記録や文章や資料として、いろいろなことをなんらかの形で残してきたことに、その理由があるのかもしれません。残したものの一つ一つをみると、できのいいものもあればそうでないものもあるのですが、なんらかで形に残すということと、いつの頃からか、残すと決めてから取り組んできたことで、おのずとPDCAに忠実になるようになりました。

そうすると、不思議と次のアイディアが自然と生まれてきて、ゼロから始める次のプロジェクトにも落ち着いて取り組めるようになりました。

これは単に、目の前の取組みに対して、「誠実に腹を据えてやる」ということだけなのかもしれませんが、少しずつ、そのときのベストに対する納得感が加わってきたように思えたのです。なぜこのようなマインドで仕事ができているのかというと、私の人物観なるものが、月日をかけて土屋の組織観と調和し、適正化がされてきたからとも思っています。

私自身の長所と短所、能力の下限と上限などの振幅が、土屋の組織観の中でどう融合されていくのかを、周囲がおおむね見通してくれているといった感覚でしょうか。これはとても贅沢で、かつ健全で安全な環境ともいえるのですが、ここまでくるのには成功と失敗、そしてそれなりの年月を要したように思います。

そして各所で質の高いパフォーマンスを発揮している方々をみていても、個々の人物観がこの2年でほどよく土屋と調和してきている気がして、なにかとても安心します。

介護職という職業観、土屋という会社の組織観、一人の人間の人物観をなんとなくでも理解すること、理解を示すということは、その対象と正面から向き合うということでもあります。しかしながら「確証バイアス」という傾向が誰しもにあるように、どうしても人間は、なにかを自分の理想像に近づける都合のいい情報だけを見聞きしたい気持ちがあります。

よって、なにかを理解する、理解を示す、正面から向き合うということはこの確証バイアスを抑えて、あまり聞きたくないような耳の痛い情報もキャッチして、ありのままを正直に認める必要があります。これはいわば「欲しい情報と、欲しくない情報を対等に扱う」ということになるので、欲しくない情報に対しては、落胆や苦悩といった葛藤が必ずつきまとうのですが、これが霧の晴れるように解消されることはまず難しいです。

2年前、私だけでなく他の多くの人たちが健全で安全だと信じた道には、あれでよかったという結論はつけられるものの、依然として職業観、組織観、人物観への葛藤が霧消されることはありません。介護という仕事に対して、当時の組織に対して、ともに働いてきた仲間に対して、晴れない気持ちは今も変わることはありません。

そして、色も質も違えど今もなお、誰しもがなんらかの葛藤の渦中にあることは、言葉を交わさずとも知れています。そしてその葛藤の末にあるやるせなさを知っているからこそあえてその人に声をかけたり、かけなかったりするのだろうと思います。

今の土屋は種々の葛藤の果てに創立し、その葛藤に正面から理解を示したメンバーと、それを語り継がれたメンバーに支えられています。この土屋がこれからどんな染色体を形成しながら生き残ろうとするかを楽しみに、励みに、そして葛藤していきたいと思います。

 

◆プロフィール
吉岡 理恵(よしおか りえ)
1981年東京都生まれ。
東京都立大学経済学部卒業。
20代は法律系事務所にてOL、30代は介護・障害福祉分野で現場の実務や組織マネジメントを学ぶ。女性管理職応援中。
CLO 最高法務責任者

 

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