津久井やまゆり園事件から7年が経過しようとしています。世間にはこの事件のことを知らない人もたくさんいると思います。また当時はセンセーショナルに報道していたメディアでさえも、綺麗さっぱりなかったことにしているのではないかと思うほど、事件にふれる報道を一切しなくなっているように感じます。
そんな危機感を抱く重度障がい当事者の私達は、例年9月に厚生労働省を相手に行う行政交渉を前倒しして、団体交渉の機会を設けました。交渉の場に訪れた役人たちはすっかり顔ぶれが変わっていたため、「重度障がいをもつ私達がどのように自立生活を勝ちとってきたか」という前段の話から議題が始まり、本題に入るまでにとてつもなく長い時間を要しました。
行政交渉を行う際、毎回積み重ねの交渉がスムーズに行えないことに忸怩たる思いをします。公的機関には特定の団体や個人との癒着や不正のないクリーンな組織運営が求められます。そのため役人には異動がつきもので、2、3年のスパンでころころと担当者が変わってしまいます。
それはしかたのないことですが、そういった組織であればなおさら、丁寧な引継ぎがされているべきではないかと思います。それでも「本件の前任者の発言について私は把握していませんが、いただいた内容をもとに前向きに検討します」といった、白でも黒でもない曖昧な回答が常套句のように返ってきます。
それがなんとももどかしいやら歯がゆいやらで、交渉の貴重な時間だけが流れていきます。明確な回答が出されるまで「これで終了にするわけにはいかない!」と粘りはしますが、さすがに1970年代初めごろに行っていた激しい障がい者運動を令和の現在にもちこむわけにもいかず、その場に座り込んだり泊まり込んだり座り込んだりといったパフォーマンスは行うものの、行政交渉は毎回、中途半端なものとなってしまっていることは否めません。
私達は1つの案件に対し、”私たち当事者の考える“正義が通るまで、毎回年単位でもやりきる覚悟でのぞんでいます。ただここ最近はそういった強い想いとは裏腹に、さまざまな状況的に、それから年齢的、体力的にも長期におよぶ交渉がむずかしくなってきています。
もう1つ、交渉を行う上でむずかしいと思うことがあります。それは障がいや疾病の種類も程度も重複の有無もさまざまな人たちが集って行政交渉を行う中で、それぞれが望む最終目標を勝ちとろうとすればするほど、当事者間で意見の食い違いや、求めるものへのズレが生じてしまうことです。
人間がみな同じでないのと一緒で、障がいの程度や性格、国や社会に対して望むことがぴったり同じな人など、いるわけもないのです。
その上、障がい当事者の望むことと家族の考え方に大きな隔たりがあると、行政交渉は暗礁に乗りあげます。家族が障がいをもつ息子や娘を重荷と思っているにせよ、安心安全な空間での暮らしを心から願っているにせよ、施設への入所を望むケースは非常に多く、一昔前ならいざ知らず、ダイバーシティや個の尊重が声高に叫ばれる現代社会にも「施設入所は安心安全である」という神話が根強く存在します。
「施設入所が叶えば一生安泰なのだ」と家族が思うことで、障がい当事者もそれを当たり前のように信じ込み、本人が「本当にそうなのだろうか。もっと違う道もあるのではないか」と気づくころには、もう地域生活を選択する余地はなくなってしまっているというのが現実です。
この議論の一番の問題点は、重度障がい当事者の大半が家族の元で暮らすのか、施設に入所するのかという2つの選択肢の中からどちらかを選ばなければならない状況にあることです。
私が所属する団体では、全ての重度障がい当事者に地域で自立した生活を送るという選択肢があり、それを支える重度訪問介護という制度があるということを知らせる活動を行っています。
その先には安心安全神話のもとに、当事者の自立や社会参加の機会を奪う入所施設そのものを解体したいという強い想いがあります。それを行政交渉の中で強く訴え、実行に移したいと考えていますが、全ての障がい当事者にそれを保障するまでに制度が充実しきれていないのが現状です。
とはいえせめて、「地域で自分らしく暮らしたい」と望む重度障がい者達に国や地方自治体の支援が行き渡るように、制度が確立され”脱施設化”をスローガンではなく現実のものとできるように、行政交渉や日々の活動を通し、たゆみなく発信し続けていきたいと思っています。
警報が出るほどの酷暑の中、私達が行政交渉に乗り出した理由は、「意思の疎通ができない人は生きていてもしかたがない」という犯人の短絡的で身勝手な思想で、7年前の7月に多くの尊い命が奪われてしまったやまゆり園事件を風化させてはならないと強く思うからです。
一見、コミュニケーションの手段が乏しいと思われてしまう最重度の障がいをもつ人の中には、行政交渉の場では障がいの程度は比較的軽度で、自らの言葉や態度で意志を発信できる人たちの意見ばかりが採用され、それが障がい者の総意であるかのように扱われてしまうことに疑念を感じている人もいるのではないでしょうか。
最重度の人たちの発言こそが尊重され、採用される行政交渉の在り方を今一度考えていく必要があると思えてなりません。重度な障がいをもつ人たちが真っ当に生きられる地域社会は、誰にとっても生きやすいものだと私は思います。
私自身も地域での自立生活を支える介護人材の育成や安定的な確保のために惜しみなく努力を続けます。同時に行政側にも人材確保や定着のための賃金アップやインクルーシブ教育の推進などを積極的に進めてほしいと思います。
◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生
養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を精力的に行う。
◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動