地域で生きる/23年目の地域生活奮闘記134~リハビリ医療に思うこと~ / 渡邉由美子

私は2歳半で「脳性麻痺である」という確定診断を受けました。その時から5〇年間、身体機能の維持改善を目的に、また17歳からは疼痛の除去とコントロールを目的に加え、継続してリハビリテーション(先天性の障がいでイチから身体の動きやバランスを学ぶ人が受けるもの)を受けてきました。

残念ながら目覚ましい運動機能の回復は困難で、明確な意志はあっても、自分でその動作を行うことができず、24時間365日、人の手を借りて日常生活を送っています。

それはもはや私の息の根が止まるまで必要なことです。機能回復を諦めざるを得ない身体状況であっても、「痛みさえ出なければまあいいだろう」と割り切れる自分もおり、中途障がいの人よりは喪失感や失望感を感じることなく暮らせているように思います。

しかし17歳の時から抱える脳性麻痺の筋緊張亢進による体の痛みはどうしても克服することはできず、日常生活を脅かす痛みと日々闘っています。鎮痛剤や筋弛緩剤の服用や痛み止めの注射を受けることも勧められ、何度か試しました。

ただ痛みは治まるものの頭がボーっとしたり、弛緩しては困る部分まで弛緩されたりと副作用が強く出てしまい、かえって身体全体の調子が悪くなり、活動をする意欲も削がれてしまうという結果でした。

そのため、できるだけリハビリテーションやストレッチ、マッサージなど副作用のないもので疼痛管理をしたいと望んでいます。

これまでたくさんの施術を受けましたが、期待や治療にかけた費用に見合わないことも多く、「やってみなければいいかどうかもわからない」と言い聞かせて受けてみては虚しくなることもよくあります。

それでもこの痛みから逃れることはできず、障がいと同じように一生付き合っていかなければなりません。ですから治療にかかる費用は”人生の必要経費”と考えるようにしています。

私には長年信頼してかかっている施術者がいます。その先生は私が抱える疼痛を一時的にではあるものの軽減できる唯一の存在です。ただ最初に出会ったころからすでに10年以上の月日が経ち、もはや後期高齢者といわれる年齢になってしまいました。

体力的にも物理的にもいつまでその先生の施術を受けられるかわからないといった状況になり、昨年の秋ごろから新たな施術者のもとでの疼痛治療をスタートしました。

新しい先生は私が長年お世話になっている先生のもとに通って、私の身体特有の疼痛を緩和する術を学ぶべく研鑽を積んでくれています。これまでに何度も新しい施術者を探してきましたが、なかなかいい出会いに恵まれず、間違いのない治療をしてくれるいつもの先生に頼りきりでした。新しい先生にはいずれは本格的に治療してもらいたいと思っています。

今度こそ「新しい先生の施術でも身体が楽になった」と思えるように、私も施術者任せにせず、希望や要望をたくさんぶつけながら、今後、加齢による不調も伴ってくるであろう身体を維持できるようにしていこうと考えています。

そんな理想とは裏腹に、今のところは思うようにいかないのが現実です。でもここで諦めるわけにはいかないと、痛みをこらえて治療に臨んでいます。

新しい先生にも時間がかかったとしても諦めず関わり続けてもらいたいと思っていますが、これまでも「やれるだけのことはやったが、あなたの望む施術は私の手には負えない」と私のもとを去った施術者が何人もいました。今度こそはそうならないようにしたいと思います。

リハビリテーションができるか、できないかということだけではなく、いかにして私との関わりを続けてもらえるかといった面で、私自身、模索しているところです。これはリハビリテーションだけに留まらず、私の生活を支えてくれる介護者との関係性にも共通して言えることだと思います。

家族や友人とは違い、介護者はこの仕事で生計を立てようと思って私のもとに来てくれています。でも「この人のためならやってあげよう」とか「この人の役に立ちたい」、もしくは「誰かの役に立っている」といった実感ができなければ、いくら仕事とはいえ長く続けることはむずかしいのではないかと感じます。

介護者にモチベーションを保ちながら私の支援を続けてもらうために、また私自身もより良い生活が送れるよう、またお互いが気持ちよく同じ空間で過ごせるよう、どう関わりを深めたらよいか考え続けていきたいと思います。

私の理想とする施術を提供するのはむずかしいと言ってやめていった施術者の一人に言われた言葉で今でも心に残っているものがあります。

その人曰く、「私が仮にその先生と同じことをやったとしても、そもそも手の大きさや厚み、指の太さ等が異なるから、ぴったり同じ施術を提供することはまず出来ない。施術者が変わればその人と一から新たな治療方法を模索するよりほかないのではないか。信頼する先生と同じ施術をしてほしいと期待されることが一番むずかしくしんどいことでした」とのこと。

その時は返す言葉が見つかりませんでしたが、少しの間とは言え、疼痛から解放され、心から楽になれるリハビリテーションや治療方法が現実にあるのだから、同じクオリティのものを求めて別の施術者を探すのはそんなに間違ったことではない。私自身はそう考えています。

リハビリテーションも介護もできる限り良質で、自分に合ったものを受けたいと思うのはある意味当然のことだと思うのですが…。この答えを自問自答しながら、これからもめげずに新たに出会う人たちと様々チャレンジする生き方を続けていこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を精力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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