体と怒りと悲しみと / 安積遊歩

私の娘はニュージーランドで、シェアメイトと暮らしている。私の体の特徴を、そのままに受け継ぎ、骨が脆く、子供時代に何度も骨折している。先月28歳になった。私もまた、子供時代に20回くらいの骨折を繰り返してきた。20代以降は、一度ひき逃げにあって、六ヶ所を骨折しただけで、60 代になるまで、全くしていなかった。しかし、閉経が来てから、また5、6回骨折している。骨折は痛い。しかし、娘を見ていると、同じ骨折ではあっても、私のそれとはなんと違うのだろうと驚くことばかりだ。不安や恐怖、痛みの量も質も私と娘では全く違うのだ。 

その理由を考えてみた。人間は、過去の記憶に大いに影響される存在だ。子供時代の記憶が、 その後の人生の様々な場面を支配し、その記憶に縛られて行動してしまう。 

例えば私の場合、骨折をする度に、親に病院に連れて行かれ、大人にとっては治療、私にとっては虐待、つまり暴力を受け続けた。見知らぬ大人にとり囲まれて、裸にされ、痛い足を動かされ、 冷たいレントゲン台に乗せられた。その上、動いてはならないと怒られ罵倒される時さえあった。 その後はアクロバティックな格好でギブス台に乗せられ、熱い石膏に漬けられた、包帯を爪先から胸まで巻かれた。骨折の度にそんな経験が繰り返されたのだ。彼らからされた数々の暴力を、 暴力と言い切っていいのだと知るまでに、30年くらいはかかった。 

そんなにかかりはしたが、それでも40歳で娘を産むまでの10年間、私は骨折治療で受けたトラウマを何度も何度も泣きに泣いた。そして娘を産むときには、医療からのその行為が、暴力以外の 何物でもないと確信していたから、娘には一つもそうした体験をさせないと決めて産んだ。 

子どものときに受けた暴力の量と質がそれぞれの人生の生きにくさを決めていく。私は自分の記憶と娘の記憶の質のあまりの違いに愕然とし続ける。子どものときに周りの大人から暴力を受けなければ、子どもは障害があってもなくても幸せに育つのだ。特に幼児期にただひたすらに大人たちに愛と信頼をもらった私の娘。彼女はどんな冒険もチャレンジも受けて立ち、人々への深い共感能力を持って関係性をつくっている。 

子どものときに受けた暴力の度合いが、それぞれの人生の幸福度に大いに影響する。娘と話していると、娘の幼児期には、彼女の不安や恐怖を、無闇やたらに掻き立てた大人は、一人も居なかった様なのだ。私は、多分そんな彼女が羨ましくて、フィリピンで臓器移植のターゲットにされて、目をくり抜かれた少女の話や、FGMの犠牲になっている何千何万の少女たちの話を、何度か話したりもした。しかし、それは彼女にとっては、自分の実感には遠い、遊歩からの脅しとさえ聞こえたかもしれない。 

私以外の大人は常に、愉快な遊び相手で、彼女を大切にしていた。どんな遊びの中でも、彼女にリーダーシップを譲ってくれたものだった。そのため幼児期の彼女は、大人の顔色を見て動くという、嫌なパターンから自由だった。私もまた、彼女に子どもらしく素直で従順であれとは少しも思わなかった。彼女がしたいということは、何でも、やってもらった。例えば、私が非常勤講師をしていた大学で、授業で話したいと言った時は、15分間ゲストスピーカーになっても、もらった笑。また、小学校2年の時、学校にはもう行かないと言われた時も、それも応援した。 

ただ、同じ体を持つゆえに、彼女に骨折して欲しくないとは思って、彼女が体を使って遊ぶことは、随分止めてしまった。そこは、彼女の父親が、大胆なチャレンジャーだったから、彼女は、トランポリンも鬼ごっこも、彼の助けを得ながら、楽しんだ。そして実際、何度かそこで骨折もしたが、骨折の理由も周りの対応も私のそれとは余りに違っていたので、骨折で、楽しいことやチャレンジングなことから遠ざかるということにはならなかった。 

そうした2人のそばにいること自体が、私にとってはチャレンジであった。それはチャレンジではあったが、骨折をしても怯えることなく、自分の体の限界と可能性を広げ続ける娘を見ることは、私の中の深いところで喜びであったのだ。彼女の側にいることで、環境が人間を育てるのだということを心から染み染み学んだのだった。 

娘の人間関係の作り方は、非常に淡々とした、平和な穏やかさに満ちている。例え娘の力を借りたいという人がいても、娘は、出来ることまではするが、その人が娘に対して不誠実な、時には裏切り行為の様なことをしたとしても、私のような、屈服を強いられた恐怖の記憶がない。それだからなのか、怒りも湧き起こることが無い様なのだ。 

幼児期の私は、絶えず怒っていた。余りの怒りを、聞き知ったばかりの言葉に乗せて、周りの大人にぶつけまくった。それは、ある種のパターンとなって、障害を持つ仲間たちと運動を始めたとき、沈黙よりは役には立ったけれども。 

娘は、彼女の思い出の中には全くない恐怖に、苛まされて怒る私を、大抵優しく見守ってはくれる。娘が幼いときには、それは彼女の幼さゆえの行動で、「あなたも大人になったら、怒りたいことがいっぱいあるよ。」と言ってきたものだった。しかし、彼女も28歳となった。それでも彼女は、怒りよりもその下にある世界の不公正や不正義に満々とした悲しみを感じながら、それと共に、社会的で人間的な活動を平和にし続けている。
 

◆プロフィール

安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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