目の前に確かにあった、救いきれない命 / 櫻井絵美子(ホームケア土屋 関東)
文才がある訳でもないので、S1に参加しようとは…正直、思ってはいなかった。これが応募する前の気持ちでした。
素直な表現で表すと「土屋の辞書のようなものを読む」ような感覚で、気持ちが深くなりすぎるのを少し恐れた、逃げた感じです。
そんな私が、なぜ代表の著書を手に取り、深く感化されたのか。お目通しいただけるだけで幸いだと思い、応募してみようと決めました。
これを提出した後の私に、また一歩「切り開く」術が身につき、誇らしく働ける自分がやって来れば、満足です。
私が代表の著書「異端の福祉」を手に取り、勇気を出して読み進めていたとき、実は、私の唯一無二の友人が、自分の命を絶とうとしました。所謂、自殺未遂です。現在は病院におり、未だ意識はありません。
原因は、祖母の介護に疲れ果て、経済的に生活の維持が難しく、自治体へ出向いたところで、福祉のサポートの相談や、生活保護の相談すら門前払い。火に油を注ぐようなタイミングで、ひょんな事から借金を背負い…結果、頭が完全にショートしたのか、薬を多量に摂取したという、厳しい結果でした。
意識が薄らいでいたであろう最中に、私のラインに電話がなりました。私は仕事があり、タイミングが合わず出られませんでした。
数時間後、一本の電話があり、警察の方から事情を聞き、病院先と自宅に駆けつけました。
彼女がスマホに残していた登録電話、ラインには、私の名前だけが残されており、あとは全て消し去っていました。
部屋も、人が住んでいたのかと疑うほど、何もなかったです。
事実、彼女には親がおらず、足を悪くした祖母と二人で生きてきました。祖母の病院の付き添い、掃除洗濯、家事全般は、7対3で彼女が主に担い続けました。
なんともまさに、著書にあった「介護する家族の負担」「ヤングケアラー」「制度に対しての国や自治体の現状の認識不足、優先すべき財源の使い所・位置づけ」、それらすべてが彼女が置かれた環境ではなかろうかと、厳しい結果を見せつけられたように感じざるを得ませんでした。
彼女は私と同年齢です。
この年齢であれば、恋愛も充実したり、念願の結婚を叶えたり、悪戦苦闘しながら子育てをしていたり、仕事で言えばキャリアが成立ち始めたり、様々な生きがいが始まる、そんな少し大人感が感じられる、経験を活かす時期であっても良いはずだと、私自身の人生とすり合わせてもそう感じます。
現実社会と相反して、彼女の人生は、満足していたようには見えないよ…と、今の彼女を見て深く考えました。
時間を忘れるくらい語り、衝突もしましたし、最高の笑顔も見てきた思い出が、走馬灯のように私の頭をよぎりました。
彼女が深く眠り続けている傍らで、代表の本を読みながら、悔しくて泣きました。
彼女へ・・・
(よりによって、私の目の前で命を諦めようとしやがって。コイツ…まるで【貴方は、助けを求めているすべての人を自分から救いに行けてないですよー】とでも言いたいのかな…。ふざけんな、生きろ!一生支援入ってみせるから、生きろ!一緒に、…生きてくれ…)
と、止め処なくあふれる涙と戦い、私が今、ホームケア土屋で働く意義、価値、重度障害者を担う事業所の社会的責任の重さを身にしみて感じました。
せっかく頂いた異端の福祉の本は、大変申し上げにくいのですが、私の涙と、握りしめていたせいで…ボロボロです(笑)
・・お許し下さい。
令和5年に至っても、高齢者介護ですら、未だに嘱託殺人や無理心中が平均8日に1件発生しているそうです。
個人的に、まだまだ守らなければならない命が目の前にある、待っていては救えない命が溢れている。代表の著書を読み、私が出来ることから障害福祉サービスを広げたいと思いました。
私に出来ることは、同じ志を持つ、揺るがない仲間とネットワーク作りをすることです。運営上の課題も沢山あり、目の前の業務に日々追われながらですが、まずは成功体験を一つ、また一つ作り上げ、前に進み続けられる事業所でありたいと、心に明かりを灯し、願わば叶うという信念で向き合う気持ちになりました。
また、代表の人生のストーリーと、障害福祉とともに歩かれていた軌跡が、本当に飾ることなく書かれていて、私もより一層、障害福祉サービスを学ぼうと思いました。