【異端の福祉 書評】「異端の福祉」を読んで / 国島輝彦(ホームケア土屋 東海)

「異端の福祉」を読んで / 国島輝彦(ホームケア土屋 東海)

高浜代表(以下、著者)の歩まれた道と株式会社土屋(以下、会社)の歴史を知ると同時に、自分と福祉の関わりを振り返る事ができました。

本書の印象的な箇所は文章を引用・改変し、意訳して自分の感じた事を述べます。

著者『プロボクサーを目指すも断念して一般企業に就職したが違和感を感じる中で一冊の書籍と出会って福祉に興味を持ち障害者運動に関わる』

私が重度障害者と出会ったのは20代半ばの1989年頃でした。福祉のイメージとは異なり、毎夜のように酒を飲みながら障害者運動に関する議論が交わされる事に違和感を覚えて短期で離職しました。

著者『介護スタッフとして共に生きることを学び相手に障害があっても本音で向き合うことの大切さに気づき「当事者主権」と自ら運動を起こした』

私は「共に生きる」社会を目指すと公言された障害者運動家に、重度知的障害などで「自ら意思を発せられない者の思いはどうやって反映させるのか?」と訊ねた答えに納得できませんでした。

その後に数十年を経て、重度障害者の支援に関わった時に聞いた「当事者が何を感じ何を願うかは、常に相手中心に自ら自問自答しつつ試行錯誤するしかない」が腑に落ちました。

『人工呼吸器をつけない選択をするALS患者が7割』にショックを受けました。重度訪問介護でお会いする方は「人工呼吸器をつける選択をした3割の方」で、そこに至るまでの葛藤は全く知りませんでした。

著者『重度訪問介護のスタッフを全国で増やす事が1つの生存選択者を増やすための役割、使命』

私の弟は2021年10月に脳腫瘍の手術で遷延性意識障害(俗に言われる植物人間)になり永眠しました。術前に「何かあれば延命しない」遺言を奥さんに残されましたが、周りに負担や迷惑を掛けたくないとの想いがあったように感じます。

そんな想いを一人でも減らすために重度訪問介護の再びやりたいと思う中で、高浜代表の講演を聞いたのが株式会社土屋との最初の出会いでした。

私は当初、高齢者介護より障害者介護の方が難しいので介護職員初任者研修(130時間のカリキュラム・旧ホームヘルパー2級)→介護福祉士実務者研修(旧ヘルパー1級)→介護福祉士→更に上位に重度訪問介護の資格がある思っていました。

実際にはヘルパー3級(20時間、3日間で習得)で重度訪問介護ができます。それは重度障害者の想いが反映されたものであることを本書から知りました。

反面、クライアント(利用者)さんから「スキル不足の人も居る」の声もあり、重度訪問介護の歴史を知ればやむを得ない面もありますが、それを補うためにも組織ぐるみのフォローが必要に感じました。

著者『障害者運動のほかに労働運動やホームレス支援をして少しずつ疲弊し、ドロップアウトして社会的支援を受け、認知症グループホーム勤務で復活したが現場と経営者の板挟みの経験を経て重度訪問介護事業に関わりました。』

私は10代に職場のろう者との出会いがきっかけで、手話を始めとし各種福祉ボランティアにのめり込んだ時期があります。気づかぬうちに疲弊して活動停止に至った事を懐かしく思い出しました。

著者『妻に起きた大事故がきっかけで障害者福祉に回帰し、2015年初頭に「社会から置き去りにされた人たちの”隠されたSOS”の多さに気づき、2020年頃に独立を決意し現会社を設立した』

重度訪問介護に関わる方には色々なタイプや経験を持つ方が居ますが、当事者と関わりつつ試練を経験された方がトップに居るのは心強く思います。高浜代表が時折言われる「組織で一度失敗しても再度、挑戦できる場と環境の提供」は綺麗事ではなく、辛い経験から心底そう思われていることを実感しました。

最後にあった次の2つは重度訪問介護だけにとどまらず、とても大切な事に感じています。

著者『介護サービスは当然の権利ですから、あなたらしく生きることを諦めないでほしい。そのために、私たちはいるのです』

著者『「困ったときには助けてほしいとSOSを出せること、SOSに気づいたら躊躇わずに助けに行けること、それがみんな当たり前にできる世の中を目指して、私は私の事業をこれからも行っていきます』

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