【異端の福祉 書評】重度訪問介護業界に足を踏み入れた理由と「異端の福祉」から感じ取った熱意 / 市井真由美(ホームケア土屋富山)

重度訪問介護業界に足を踏み入れた理由と「異端の福祉」から感じ取った熱意 / 市井真由美(ホームケア土屋富山)

本年4月、私は「ホームケア土屋」でWワークとして重度訪問介護の仕事を始めました。そもそも高齢福祉の分野で介護の仕事を始めたのが、約15年前。それまでは結婚と同時に専業主婦として家庭に入り、7人の子供たちを今で言うワンオペで育てていました。

主人が外で稼いで私が家庭を守る、と役割分担ができていたため、ワンオペ家事育児はなんてことありませんでした。それでも末っ子が1歳になったら仕事に出る予定でいました。生活費、学費の為です。

専業主婦として16年家庭にいた私に何ができるかを考えている時に、夫の祖父を思い出しました。91歳で亡くなるまで誰の手も煩わせることなく自立した生活を送っていました。が、実際にはトイレまで歩いていくことができずに、廊下を這いつくばって移動していました。

私にできる事は小さい我が子達を連れてたまに訪問し、尿で汚染された廊下を拭き、尿で汚れた衣類の洗濯をすることだけでした。もし、私に高齢者や介護の知識があったらもっと何かできたのではないか、祖父が亡くなってからずっと考えていたことの答えを見つけるためにヘルパー2級の資格を取り、介護の世界に飛び込みました。

これは天職だ、と思えるほどに介護の仕事にやりがいを見出し、8年前にはケアマネジャーの資格を取得。そこからは居宅介護支援事業所に勤めて在宅での高齢者介護に関わってきました。

そんな中で数年前から感じていたことがあります。障害福祉分野で支援を受けていた障害者の方も65歳になると「介護保険」へ制度が移行します。それまで「重度訪問介護」で実に月数百時間も受けられていた支援が介護保険になるとせいぜい一日2~3時間程度しか受けられなくなるのです。

何とか行政に掛け合って「上乗せサービス」を支給してもらっても、とても十分な支援は受けられません。納得はできなくても理解をすることでご利用者と一緒にその人らしい最適な生活を送る方法を考えていました。

制度の移行に際し、「ここまで障害福祉、ここから介護保険」ではなく、もう少し人の人生、生活というものを考えた方法はないものか。日々忙しく仕事をこなす中でずっと、そんなことを感じていました。

そんな時です。「ALS」のご利用者を担当することになりました。既に両上肢は動かず、家族への介護負担も大きくなっていました。それでも本人は自宅で過ごしたい。家族は「気持ちはわかる。一番つらいのは本人だから。出来るだけのことはしてあげたい。でも、体がついていかない。」とギリギリの精神状態でした。

このままではみんなが壊れてしまう。そこまで限界が来た時に、私がケアマネジャーと兼務で施設長を務めていた老人ホームで一時的に受け入れることになりました。「全く知らない所ではなく、私もいるから」と何とか説得して入居してもらったのでした。

ところが、体が自由に動かないものだから要求も当然多く、今度は職員が疲弊してしまいました。職員の皆も「できる事はしてあげたい。でも、他にも入居者さんがいるのに一人にかかりっきりになるのは無理です。」と理想と現実のギャップに苦しんでいました。

その方は間もなく呼吸困難に陥り、入院となりました。本人も家族も延命治療は望んでいませんでした。自宅で本人、家族両方の支援ができれば本人の望んだ生活を送ることができ、もっと違った最期があったのではないか、ずっと私の中でもやもやとしたものがありました。

そんな時にたまたま求人で「重度訪問介護」を見つけたのです。私が「重度訪問介護」に足を踏み入れた理由がここにあります。本人、家族を支援する方法は「これ」なのではないか。
文字制限数の大半を前置きで使ってしまいましたが、「株式会社土屋」が果たしてこれからの「超高齢社会」「ソーシャル・インクルージョン」等々課題が山積みの日本の未来を明るくしてくれる会社なのかどうか、とても興味深く「異端の福祉」を読みました。

高浜代表の「社会的地位、収入を与えることで優秀な人材を育て確保するところから社会を変えていく」との思いには共感でしかありません。まずは、やはり「人」なのです。

私はケアマネジャーとして、また重度訪問介護員として、社会を高齢・児童・障害で区切るのではなく、「トータルケアカンパニー」である株式会社土屋と共に新しい社会の流れを作り上げていきたい、そんな思いをまた熱くしました。そして、それを実現できる勢い、力を「異端の福祉」から感じ取ることができました。

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