私の介護未来予想図 / 寺田恭子(ホームケア土屋 鹿児島)
祖母はとても優しく私に安らぎを与えてくれる人だった。その祖母が施設に入ることになり、出来ていたことが少しずつ出来なくなっていった。弱っていく様子がはっきり分かる頃、病院へ移ることになった。
病院で生活するようになり数ヶ月が経った時、担当医から食の細くなった祖母に胃ろうの提案があった。突然のことで頭の中が真っ白になりながらも、もっともっと祖母と一緒にいたかった私は胃ろうにするだろうと思っていた。だが、祖母の娘である母はそれを望んでいなかった。
母に考えを改めてほしくて何度も説得を試みたが叶わなかった。それまでも頻繁に祖母に会いに行っていたが、それからは毎日病院へ通った。祖母へたくさん話しかけ、わずかな食事の介助や口腔ケア、清拭、体交等しながら祖母との時間を過ごした。
3人の娘達が一緒に祖母のお世話をしてくれたことがとても嬉しかった。しばらくして祖母が亡くなり、悲しみの中で私の考え方が変わってきた。胃ろうの選択を迫られた時、どちらを選ぶのが正しいのか。どちらが幸せなのか。未だに答えは出ていない。
この本を手に取り読んでいく中で、全体の様子、それぞれの想い、気持ち同様に動けない世の中の流れに私の感情は戸惑った。介護離職ではなく共に生きることを学び合う場を求めていたからだ。
クライアントに寄り添った介護をしたかった。意思疎通が上手く出来なくても何を伝えたいのか解りたい。何を思っているのか知りたい。少しでも「生きたい」を私の手でサポートできるのなら、こんな嬉しいことはない。
この仕事についてから、日々クライアントとの交流を満喫している。多系統萎縮症の方とは文字盤を活用してコミュニケーションをとっている。施設に勤めていた時は時間に追われゆっくりじっくり関わることが出来なかった。今はクライアントに「伝える」ことを諦めてほしくない。伝えたいことを素早く解るようになりたい。我慢や諦めは生きる力を削いでしまう気がする。
先日、文字盤を使用している時、些細なことから笑いが出た。笑ったことで痰が「ゴロッ」と音を出し吸引をすることになったのだが、私はこの笑顔に生きる力を感じ嬉しくなった。
また、逆もある。そんな時は自分の不甲斐なさに打ちひしがれる。毎日の記録ノートを見直したり、他のアテンダントの意見を聞いたりしながら日々挑戦して良い方向性を探っている。
1人ではない、グループみんなでクライアントの事を共有し、たくさんの気付きもある。グループで同じ方を支援することはとても心強い。
本の中に記載されていた二宮金次郎の言葉「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
やりがいだけでは食べていけず、報酬を得るだけの為の仕事でも寂しすぎる。とても深く、なかなか難しいと嘆くより、今自分に出来ることを毎日やっていこうと思う。クライアントに寄り添った介護ができることに感謝しつつ、日々学んでいきたいと更なる覚悟を持たせてもらえるきっかけになった。