土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
怒りの作法というお題が出されて、いろんな場面でのいろんな人の怒りを思い出しましたが、なかなか自分自身の怒りについて何を書いたら良いか迷い、筆が止まってしまいました。
自分のエピソードがなかなか思い浮かばない、こう言ってしまうと「なんなんだ!」「それで生きていると言えるのか!」と、ご批判もありそうですが、偽って文章を書ける程文才もないので、正直に書こうと思います。
冒頭でも書いたように、私は色んな人の怒りは見てきた方だとは思います。
それこそ血しぶきが飛ぶような取っ組み合いのケンカや、罵り合いの場面、デイサービスの所長をやっていた頃には、「〇〇さんのこういう仕事のやり方が気に入らない!」と各々が怒りに震えている姿を見ることは日常茶飯事でした。
心理学の世界では、怒りは二次的感情と言われていますが、彼や彼女たちの姿は、寂しさとか戸惑い、不安の感情を覆い隠すために、「怒り」という武器をもって先頭に立っているかのようにも見えました。
今思い返してみても、デイサービスのどの管理者もその感情に振り回されることなく、淡々と冷静に立場をとれる人が多かったように思います。それは、言い換えると、怒りを無理にねじ伏せることなく、毎日毎日対話をするということの一点のみだったとも思います。怒りを逃がす、そういう行為ではなかったではないでしょうか。
とあるエピソードをここに書こうと思います。
3歳の息子との出来事です。
ある日、息子が赤信号の横断歩道をせっせと渡ろうとしました。危ないからと口で止めてもなお渡ろうと志し、仕方がないので体を抑えて止めるとさらに怒り出しました。
「青よりも赤が好きなんだもん!!」と叫びました。
どうやら自分の好きな色で渡りたいということらしくもう必死です。
「お願いだから」「死んじゃったら大変」「お菓子買ってあげる」などといくら言葉を並べても、彼の怒りは収まりませんでしたが、
「実はね、お母ちゃんも赤で渡りたいんだ、がまんするのって本当につらいね~」と伝えると、
「あなたもですか!?」という顔をして、無事仲良く手を繋いで青信号を渡りきれたのです。
対話を通じ、共感できたという部分で、彼の怒りはどこかに逃げていったようでした。
ある意味、子どもは思いのまま感情を表現するので、こういったことは珍しいことではありません。すぐ怒る人と一緒にいるのは大変ですが、無鉄砲に怒りを出す→どこかに困る人がいる→話をするということが遠くなる→生産性に欠ける、そんなある種の社会性が機能してしまう自分にとっては、ときには感情のままに動いてしまう人を見ると解放感を感じ、羨ましくなるという本音もあります。
また、怒りは疎ましく邪魔な存在なのかということを考えてみたいと思います。今までの話と矛盾するようですが、私は結構怒ります。「この野郎」とか「酷い!」とか喚かないだけです。特に会社という組織にいる以上は、権力を翳してハラスメント行為が行われたり、隠されたり、事実が曲げられたりすることが嫌いですし、憤りを感じます。従業員の方々が「どうなんだろう」と疑問を持つ中には、きっと会社をよくしていくヒントが隠されているという前提で日々お仕事をさせていただいております。
(7) 怒りの爆発は何も生まない、不正には憤ろう、強く、深く、しかし冷静に
これは株式会社土屋のバリューの一部です。怒りについてのことが会社のバリューに盛り込まれることは非常に珍しいのではないかと思っています。
私もプライベートでは、感情に任せて子どもを叱ってしまったりすることもあります。
しかし感情的に声を荒げて子どもを叱ったところで、子ども自身は私の感情に呼応するように、または反発するようにさらに彼自身の感情に火をつけるだけで、理性的な会話には繋がりません。圧倒的な力関係と言葉を知っている数に対する子どものうちなる反発を生み出します。
そして感情的になった私も、後悔とか悲しみとか残念な想いが残ります。
しかし、上に挙げた土屋のバリューの一節を読めば、強く、深く、冷静であれば、「怒る」ことを勧めているように読めます。
世の中はこれで充分でしょうか。
今の世の中は百点満点でしょうか。
時には変化を求め、冷静さによってもたらされる深い思考によって、相手に受け取りやすい形に強化された「怒り」、それをメッセージと表現する人もいるかもしれないし、議論と呼ぶ人もいるかも知れません。
感情は人間にとって切り離すことができないものであるからこそ、あらゆるものの原動力だと思っています。
怒りは決してネガティブな側面だけではなく、プラスにもなり得るのではないでしょうか。
だからこそ「マネジメント」が必要なのだ、と考えています。
Netflixに、『ヘッドスペースの瞑想ガイド』という番組があります。チベットの僧院で瞑想を学んだアンディプディコムがアニメ映像でわかりやすく瞑想のテクニックを教えてくれます。
『エピソード7.怒りと付き合うには』という回でこう語ります。
「怒りの感情をぶつけたくなる相手に対し『幸せになってほしい』という気持ちを持って接して下さい。」と。
脊髄反射的な、放っておけば即座に発火してしまう怒りの回路の中に、「相手に幸せになってもらいたい」という気持ちを組み込むということです。
プログラミングみたいな感覚ですが、私も実際そうしてみて、くすぐったいような気持ちもありますが、なんだかうまくいく感覚が実感としてあります。
喧嘩や罵り合いをして疲弊したり、英雄のような気持ちになるのも、ストレス発散になるのかもしれませんが、ストレスを最初から溜めないというこの作法も、なかなかいいものだと考えています。
◆プロフィール
長尾 公子(ながお きみこ)
1983年、新潟県生まれ
法政大学経営学部卒。
美術品のオークション会社勤務後、福祉業界へ。通所介護施設の所長や埼玉の訪問介護エリアマネージャーを経験し、2017年、出産を機にバックオフィス部門へ。現在は3歳と0歳の子育て中。