土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
残りの人生の中で自分が納得して出来る仕事に転職しようと考えていた時期に、ある日、本当にある日突然に【看護師になりたい】という気持ちが天から降って来ました。
自分でもなぜそう考えたのか不思議でしたが、日々思いは強くなるばかりで、色々調べ始めて、学校に行かないと資格が取れない事などが分かり(そんなことも知らなかったのです)、こっそりと(家族に内緒で)学校に行く準備(少ないお小遣いの中で参考書など買いました)や学校に行きながら生計を立てるプランを考え始めました。
綿密に計画を練り始める中で、まずは妻を説得する為に行動を起こしてダブルワークで実績を作ってから、と言うことに決めました。
以前、介護の仕事に携わり、ヘルパー2級の資格を持っていましたので、医療に近い介護の仕事を探し始めました。
一つは病院の介護員(日祝の休みの日)、もう一つが前職の夜勤勤務をすることにしました。特に前職は医療的ケアが出来る事と募集要項に【見守り】と書いてあり、『あわよくば夜、勉強もできて、なかなか時給も高い!これは自分にピッタリの仕事に違いない!』と思い飛びついた次第でした。今思うと、とんでもなく軽はずみな考えですが、当時は重度訪問の本質を知らず、単純に喜んでしまったのでした。
病院の仕事はパット交換、清拭、配膳下膳、食事介助、ごみ捨て、更衣、シーツ交換、栄養のボトルのセッティングなど多岐にわたり、 8 時間休まず常に動いていたと記憶しています。
正確な人数は覚えていませんが、30~40名くらいはいらしたと思います。特にパット交換の時間は息つく暇もなく、次から次へと流れ作業のようでした。一方、前職の仕事は一対一の時間の中でコミュニケーションを取りながら、じっくりと支援していく仕事でした。
私は同時期に同じ介護の仕事とはいえ対照的な経験をしていました。ある日、病院の先輩ヘルパーさんが『この病院に自分の親を入院させたいか?』という会話をしているのを耳にしました。
皆さんから出た答えは『絶対イヤダ!』でした。『こんな機械的な介護しか受けられない環境に自分の身内は預けたくない。』という意見が大半でした。皆さんの本音をお聞きして、私もある意味、同じ様な気持ちになりました。
私が現在この仕事を続けている理由は、『もし私自身が介護を受ける立場になった時、もし選べるのであれば間違いなく住み慣れた街で住み慣れた家で生活することを選びたい!』と心から思わせて頂いた事と、『重度の障害があっても、在宅で介護を受けながら生活することは出来るんだ!』と少なからず驚きと感動を覚えたからに違いありません。
その後ご縁があり、株式会社土屋に入社してお世話になっておりますが、私は胸を張って、介護を受ける立場になった時、みなさんが土屋の訪問介護を選んで在宅生活を送りたいと言えるような会社になるように微力ながら貢献できればと考えます。
関口 隆宏(せきぐち たかひろ)
ホームケア土屋 札幌