私が介護のお仕事をはじめた理由 / 萩野繁俊(ホームケア土屋 秋田)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

なぜ介護?との問いかけに、改めて人生の軌跡を振り返ると、若かりし当時の自分自身が「何故介護の道に進んだのだろう?」と、はっきりと答えられないため、まずは自らの行動原理を分解してみたいと思う。

高校を卒業した時点で、看護の道に進んだ事も、自分では「なぜ?」が付きまとう。あえて答えれば、人のためになることをするという、絵に描いたような善行を「嫌いではないから」というのが、一番正直な当時の自分の感情であったと思う。

看護学校に入学し、最初の学級会で当然のように、自己紹介の時間があった。自己紹介に加えて、看護師を目指す理由を、全ての同級生が、全ての同級生の前で発表する。まるで決意表明のような場ではあったが、「親が看護師で、誇りを持って働いている姿に憧れて」「病気をしたときに助けていただいた看護師さんに憧れて」などと、目を輝かせて模範解答のような夢を語る同級生たちを目の当たりにし、自分の薄っぺらな理由が恥ずかしく感じ、劣等感や疎外感のような感情を抱いたのを、今でも覚えている。

そんな始まり、きっかけではあったが、ほかの仕事に鞍替えする勇気も無く、資格があれば他の職よりも待遇が良いだろうと、今思えば患者様に失礼極まりない感覚で病院で働く日々を過ごし、常に「自分に看護職は向いているのだろうか?」の葛藤を日々抱く中、知人の紹介と勧めで、初めて施設で働く事になった。

年齢的にも精神的にも、まだ未熟で生意気だった私。病院の中でしか働いたことの無かった私のイメージする「介護施設」は、寝たきりばかりで介護職員は下の世話を一生懸命にしている、というだけのイメージしかなく、重労働の、いわゆる3Kどころか4K5Kという印象しかなかった。

しかしながら、実際に働いてみるとそんな印象ではなく、それまで仕事のステージとしていた病院よりも温かい雰囲気と笑顔が、介護の現場には溢れていた。もちろん、肉体労働として忙しいのは当たり前だったが、そんな疲労感が心地よく、何より「自分に合っている」と稚拙な青年だった自分自身が感じた。

それまではドライに看護業務を遂行してきた私が、興味を持って仕事ができた結果、老人保健施設、有料老人ホーム、デイサービス、ショートステイなど様々な施設を経験してきた。

そんな欲張りさんな私が様々な施設で、大なり小なりの問題を見てきたが、どの施設にも共通する問題が1つあった。介護と看護の溝である。

とあるデイサービスで働く看護師さんは「私は看護師なので、介護業務はやりません」の一点張りだった。椅子に座り、バイタルサインの記入やらガーゼを畳んだりの軽作業をする看護師さんを尻目に、少ない人数で介護業務を粛々とこなす介護職員さん。

なんだこれは?同じ思いでサービスを提供する立場なら、看護も介護も関係ないじゃないか、と感じ、自分は奇をてらう変人でもいい、と、看護職員でも送迎、入浴介助、排泄介助なども率先して行った。結果、徐々にわだかまりは減り、職員もご利用者も和気あいあいと楽しく過ごせる空間ができたと思う。

ごちゃごちゃと何が言いたいか分かりづらい文面となってしまったが、私が介護の仕事をはじめた理由は、今でもあまりよくわかっていない。が、介護を続ける理由は、ほどよく歳を重ねた今なら自信を持って言える事。

みんなの笑顔が見たいから。

クライアントもご家族も、アテンダントも相談員も、携わる方々が皆、笑顔でいられる。そんなお仕事を続けていきたい。

 

萩野 繁俊(はぎの しげとし)
ホームケア土屋 秋田

 

関連記事

TOP