人類は生き延びられるか〜リーダーシップの大切さ。菅さんへの提案〜 / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

オリンピックの開催まであと10日を切ろうとしている。何も言わずに呆然と開催を見続けるのが嫌で障害を持つ女性の仲間たち4人と共に開催中止の声明文を書いて首相や橋本聖子さんやJOCに送った。その送付先をどこにしようかと考え検討して色々調べた。その結果、なぜこんなにも誰も責任を取ろうとしないのかがある意味よくわかった。色んな組織がありすぎて、どこもかしこもお互いの顔色を見てやめるという決断ができないのだ。非常に日本的な組織のあり方だ。

私はリーダーシップをとっている時に1番気をつけてきたことは、みんなの意見はとにかく丁寧に聞くけれど最終的に責任を取るのは私である、と思い考え続けてきた。色んなミーティングで必ず、あるいはなるべく1人1分とか2分とか時間をとって意見を言ってもらう。あるテーマについてわからないという人がいたら、そのわからなさを正直にまた言ってもらう。何度かそれをやりながら、もちろん私の時間もとって意見を言う。そして最後にみんなそれぞれの意見を伝えてくれてありがとう、と感謝を伝えて、私の意見があまりに少数派であればなるべく多数派の意見を取り入れながらの結論を出し、それを皆に分かち合って了解をもらった。そうして得た結論で思い出すことが2つある。

1つ目はインフルエンザワクチンの接種をどうするかということでの話し合いである。多分十数年前のことだ。自立生活センターの職員はインフルエンザワクチンをしなければならないという指導が市からあった。私はワクチンに対して猛烈に否定的だ。だからその時にも職員には打たせたくないとみんなに宣言。もちろんそれには理由があって、私の幼い時にされた医療からのトラウマによるものだった。それに対して事務局長であった友人が絶対に受けた方がいいと言ってきた。私は代表権限を使ってでもワクチンを打たないと結論付けたかったが、思い直してみんなに集まってもらってみんなの意見を聞くことにした。私がワクチンに対してどのように思っているかを聞いてもらい、事務局長も彼女の立場と考えを述べた。その時事務所にいた職員もそれぞれ考えながら自分の意見を言ってくれて、結論は私が責任を取るのでしないことにもすることにも、どちらも強制しないということになった。とにかくワクチンについては色んな意見を聞く場を提供し、そこの中から自分で考えて選んでいくという力をつけていくこと、それしかないのだと今でも思っている。特に今はコロナで世界中がワクチンを必要とする方向に向かっている。ところが日本はあまりに政治がめちゃくちゃなので、コロナもワクチンもみんなの不信感をかい続けている。もちろん私もワクチンについての情報を集めれば集めるほど個人的には打たない方向に向かい続けている。

2つ目は東北大震災で福島原発が爆発した時のこと。11日に地震があって12日に福島原発の最初の水素爆発があった。そして13日にそれがまたテレビで放映されるのを呆然と観た。その夜に家にいた約10人の仲間に集まってもらい、それぞれの意見を聞くことにした。私自身はその集まりの前にフランス人の夫を持つ友人から、「フランスの政府がチャーター機を出してくれたので今、成田に向かっている。」と電話で聞いた。

私は福島が実家である。12日に第1回目の水素爆発があった時点で赤ん坊のいる甥っ子夫婦を東京の私の家に避難で呼び寄せてはいた。その甥っ子家族3人と私の娘と連れ合い、そして福島を実家とする友人とシェアメイトの3人がそこにいた。そして1人1分ずつでぐるぐると自分のまとまらない考えを、みんながそれでもまとめようとしながら何度も何度も回し続けた。結論は翌朝に名古屋に向けて9人が出ることを選択。どうしても避難はしたくないというシェアメイトだけが残るということになった。

このオリンピックの開催までの有り様は、とにかく無責任の極みだ。誰も彼もが無責任だから、例え菅首相が徹底的に「これはあまりにおかしい決断だった。申しわけない。今からでも開催を見合わせたい。」と言ってもやめられないのではないかとさえ思ってしまう。しかし思ってはしまうけれど、それでも心から言い続け、言い募れば、首相の権限・力は絶対にあるはずだ。

やめたいと言っても誰も認めてくれず、ただただ自民党や政界を追い出されるのではないかという不安と恐怖に捕まっているのだろうと思うが、それでも尚、あなたしかブレーキを引けないのだ。リーダーシップの栄光と悲惨を感じながら最後の最後までオリンピックを止める賢明な判断を諦めないでほしい。そういう方向で動いてくれるのなら、私は同じ東北人として心からあなたにエールを送りたいと思う。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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