地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記98~実際にPCR検査を受ける立場となって思ったことPart1~ / 渡邉由美子

物価高騰で懐も寒い今日この頃ですが、気温の変動も大きく、本当に暑いのか寒いのか判断がつかず、元気だけが取り柄の私が先日熱を出してしまいました。新型コロナウイルス感染症はPCR検査の結果陰性で、事なきを得ました。

とはいえ今のご時世、24時間介護の手が必要な重度障がいをもつ私のような人は特に、うっかり風邪もひけないということを痛感させられる1週間の療養生活でした。同じように地域で生活する重度障がい者の皆さんが万が一にもかかってしまった時、少しでも参考になればと思い、記憶が生々しいうちにその一部始終を書いていきます。

体調に異変を感じたのはその週の月曜日の夕方のことでした。くしゃみが出たり、鼻水が流れるように出たりといった症状からはじまり、水曜日の朝にはのどの痛みや咳、身体のだるさ、発熱と症状が進行していきました。

体温が37.5度を超え、さすがにこれはいけないと思った私は、その週の社会参加活動をすべてキャンセルし、家に引きこもることにしました。咳がひどい以外には、体感では軽症とわかっているものの、コロナ禍であるため、利用先の訪問介護事業所のコーディネーターに連絡を入れました。

連絡をしたその日のうちに事業所から自宅に、10組ほどの防護服セットが届きました。それと同時に薬局で抗原検査キットも買ってきてもらい、さっそく鼻に綿棒を突っ込んで検査をしたところ、ひとまず陰性という結果がでました。

しかし市販の抗原検査キットは一般的にその精度があまり良くないとのことで、翌日に病院の発熱外来できちんとしたPCR検査を受けようということになりました。これだけ長い期間コロナ禍にさらされていて、危機感が全くなかったわけではもちろんありません。

とはいえ年月を追うごとに「ここまでかからなかったのだから、もう自分はかかることはないだろう」と高を括ってしまっていたのは事実です。いざ自分の身近にウイルスの脅威が忍び寄って来た時には、PCR検査を受けに行くということ一つとっても、どうしたらいいかわからず、すっかりパニックとなってしまいました。

近所で発熱外来のある病院を調べたり、その後の段取りを踏んだりといったことを当日の夜勤介護者に丸投げして、私はただただこの先どうなるのだろうと不安を募らせるばかりでした。

普段であれば「自立生活を送っている以上、自分のことは自分でしなくてはいけない」と粋がるように思い、それを実行していますが、今回の件に関しては何も手につかない状態になってしまい、思い起こせば情けない限りでした。

ただ発熱相談センターに電話したところすぐに繋がり、コロナ罹患が疑われる時のマニュアルがしっかりと用意されていました。オペレーターの対応はとても丁寧で聞かれることに順序良く答えていけば、自分が今するべきことに行きつくようになっており、大変助かりました。

一時期のピーク時よりはコロナ対応を担う各部署も落ちついて一人ひとりに対応できるだけの余力が生まれているように思いました。そのことは私自身とその晩コロナの陽性者かもしれない私を介護するヘルパーに大きな安心感を与えてくれました。また翌日以降の段取りが整ったことで、不安な中でも先の見通しが立てられ、とても嬉しく感じたものです。

翌日、発熱相談センターの担当者に教えてもらった病院に電話をかけたところ、たまたま自宅のすぐ近くで、診察券も持っている病院で検査を受けられることがわかりました。初めて行く場所よりも勝手がわかるとひと安心したものの、当日は雨が降っており、病院に向かう憂鬱さが助長されました。

その日は車椅子の高齢者や基礎疾患をもつ患者が重なっていたため、指定の時間からしばらくの間、隔離された場所で待機することとなってしまいました。その後診察を受け、容体について手短に聞かれました。

医師によると、もし新型コロナウイルス感染症の陽性患者となったとしても、症状自体は明らかに軽症であるとのことでした。ところがその医師は「あなたがもつ生活上の困難を支えてくれる身内の方はいますか?」とぶっきらぼうに尋ねてきました。

私は「身内は高齢のため支えられないが、もし陽性だったとしても軽症で済むのであれば、訪問介護事業所や隔離期間に来ることになっている支援者一人ひとりに状況を説明して協力を求め、可能な限り自宅で過ごしたい」と伝えました。

しかし医師からは「周りに感染を広げてしまう疾患である以上、クラスターの発生を最小限に食い止めるためにもそればかりはむずかしい。社会的保護という観点からは重症のコロナ陽性者と同じように入院するのが妥当だと私は考えます。もし陽性になった場合、地域の保健所からフォローアップしてもらえる体制を築きますね」と告げられました。

世間一般の尺度では一見正しいと思われるこの見解は、重度訪問介護を使って生活している人達にとって、到底従えるものではありません。とはいえ、それならどうしたらよいかという打開策もすぐに伝えることができず、その場をやり過ごすのがやっとという有様でした。

今回はこのあたりで終了し、次回はこの話の続きをもう少し詳しく書き記していこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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