土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
能ある鷹は爪を隠す ― 本当に高い能力(実力)とそれに対する自信を持つ者は、他者に偉そうな言動を取ったり、むやみに力をひけらかしたりしないという、古くからのたとえです。また、「鷹」は「誇り高き者」を象徴しています。
誰でも知っているこの言葉、裏を返すと、たいした能力のない者にかぎって、普段から高圧的な言動や態度を取ったり、特に自分より弱い立場の者には力を誇示したりする、ということになるでしょう。さらに、秀でた能力を持つ者が常日頃から冷静で謙虚に、慎み深さをもって振る舞うことを奨励し、その一方で、自分の今持っている力に胡坐をかき、自らをさらに向上させることをしない、「驕り」に陥った者を暗に批判する表現ともいえるでしょう。
人を高みに突き動かす代表的・基本的な心理的原動力は、承認欲求だと私は思っています。「他者から好かれたい、尊敬されたい」「力あるものとして認められたい」。親、家族、学校の同級生、先生、同僚、上司、部下、顧客からこのように思ってもらいたいと誰しもが感じてきたはずです。始まりが周囲との比較、周囲への競争心であったとしても、こういう心理は決して悪いものではありません。そのために、何かを目指して勉強したり努力を積んだり、物事を極めるといった行動は素晴らしいことです。
目標に向かって努力している最中にある人の姿こそが輝いていますし、そのプロセスの中で何かを会得、達成できたとき、その成功体験は自分にとっての確固たる実力・自信となって、やがて「誇り」になっていくでしょう、そうなれば自然と周りから頼りにされ尊敬されるようになります。 ここで肝心なのは、こういうプロセスをずっと続けることなのです。そう、自分の今持っている力に胡坐をかいてはならないのです。
しかし、安っぽい承認欲求を持ってしまう人もいます。良く思われたいという下心が先行し、恰好ばかりを追い求め、方向違いの努力を重ねている人です。努力と自信に裏付けされた誇りを持つことが必要とは言え、形式(職位、役職)や見た目だけに拘ったり、独善的な自己主張が先行し過ぎてしまったりすると、周囲からは「偉そうに」「驕っている」「傲慢だ」と見られてしまい、不快感を与えてしまいます。そうなるともう、尊敬されるどころではありません。とんだ「勘違い君」「勘違いちゃん」になってしまいます。
そんなチープすぎる心の持ち様において、何が最も大きく欠落しているかと言えば、自分を本当の意味で高めようと努力し続けるプロセスと、それを続ける忍耐力です。そういう大切な部分のない空っぽな自信は「驕り」に他ならないのです。自信、誇りといったものは、自らが造り上げ、大切にしている「心の持ち様」です。自分の心の中の様子は、傍目からは見えません。それを人に無理に見せつけよう、見せびらかそうとしたとき、周囲にはそれが高慢に、そして滑稽にさえ映ってしまいます。
始まりは周囲に対する承認欲求の実現であっても、ステージが上がれば、他人の目に左右されることなく、自らの中で汚さぬように持ち続け、大切に育んでいくものが自信であり誇りです。苦しい、手強いことに出くわした時こそ、誇りを持って自らを律していきたいものです。そうしているうちに目には見えないところで高く評価されることになるでしょう。
次に、「謙虚」ということに触れてみたいと思います。
「自信」や「誇り」と「謙虚」とはワンセットだと、私は考えてきました。だからこそ「誇り」の対極が「驕り」だとも。
自分の中に驕りや高慢があると気づいたとき、それを除去しなければなりません。謙虚に戻るという事です。しかしその際、必要以上に謙遜したり、自分を卑下して見せたりすることは、決して適正なやり方ではないでしょう。口先だけの謙虚さは却って周囲を不快にさせてしまいます。自信、誇りと同じように謙虚さにも「品位」が必要なのです。
本来の謙虚さとは、人から慕われたい、優位に立ちたい、尊敬されたいといった欲求を捨て去り、ひたむきに自分を高める努力をしていくことではないでしょうか。なので、ただ単に、自分の立場を下げて相対的に相手を上にするのではなく、自分の立場を変えずに相手を尊重し高めていく、そして感謝する心が本当の謙虚さではないでしょうか。
人は誰しも周囲の目が気になってしまい、妙に恰好を付けたくなるものですが、誇りをもって、驕りを捨て、謙虚に、品位を保って生きていきたいものですね。
◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ
脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。