【異端の福祉 書評】同じ場所より / 西村茂樹(ホームケア土屋 関東/土屋ケアカレッジ)

同じ場所より / 西村茂樹(ホームケア土屋 関東/土屋ケアカレッジ)

自分は過去に、著者と同じ場所に立っていたことがある…のかも知れない。時は2005年の10月も終わり頃か。折しも「障害者自立支援法案」が通過しようとしていた国会議事堂の前に、である。

また、その理由も同じものであったようだ。当時の自分は介護職ではなく「音楽業界」に身を置いており、法案の概要はテレビのニュースで知ったのだが、「それ」には単に納得が行かず、見過ごすことも出来なかった。

端的に「障害程度が重い人ほど支出が嵩み、生活苦に陥る可能性がある」と云うデタラメさをして、障害当事者やその家族、介助者、支援者らは、同法案をこのように称していた。-これは「障害者”自殺”支援法」である、と。

現在、同法は「障害者総合支援法」と名を変え、前出の巨大な矛盾点などは幾許か改められてもいる。それでも未だ、大なり小なり、この国の障害福祉施策には障壁が残されたままだ。「そこに壁が在る」と感じる人達が居る限り、それは確かに在るのだ(※さて置き、自分はその折に国会前で得た奇縁により、直後に介護職へと転身している)。

世界でも有数の「国民皆保険」と云う制度が導入されているこの国をして、これもまた世界有数の「福祉先進国である」と思い込んでいた自分が、過去には確かに居たように思う。

その認識は、ある意味では全くの誤りとは云えないものかも知れない。しかし、例えば本書『異端の福祉』で示された「障害者福祉の不備や遅れを指摘され、国連から改善勧告を受けていた」…と云った事実に触れる時、(牛歩の如き改善も見られるとは云え)やはり「人の考え」や「人の行ない」には片手落ちも多く、それは「人の思い」や「人の力」で埋めて行かなければならないのだと、生涯に於いて何度目かの気付きを得る。

この世界は、そしてこの国の(殊に障害者の)福祉施策は、万能でなければ完全でもないのだ。このままでは、私達が耳を傾けるべき数多の「小さな声」もまた、止むことは無いだろう。

事業所には当職が頂戴出来る分が無く、本書『異端の福祉』はアマゾンで購入した。「頂けるなら読みますよ」と云うことではなく、とにかく「読みたい」と思ったからだ。この本を。そして「知りたい」と願ったのだ。その上梓の意味や意義を。

それはまた、『土屋』と云う会社組織と邂逅するに至った自身の現在地や立ち位置を確かめる…と云う行為でもある。やや大仰な物言いかも知れないが、自分はそれだけの思いを以て本書と向き合った。

そして、読了後に得た所感は、この散文詩のような文章よりも遥かに詳らかに、「晩年」とも云える自身のこの先の介護職人生の中に記されて行くのだろう。そのような予感を、今は確かに抱いている。

いつか、本書が謳う「異端の福祉」が、「真っ当な福祉」、「スタンダードな福祉」として称される日が訪れることを、切に願い、求めたい。これも今の自分であれば、それをまた自身の思いとして重ね合わせることも出来る。

また、もしも著者に、その「資産」の一部として資する者と認めて貰えるのなら、この晩年をその場で全て費やしてしまっても構わない。異端の福祉に触れて、そう思うようになった自分が居る。

そこに壁があるのなら、今日も叩き続けよう。
そして明日には、それを崩そう。

あれから幾らかの時を経て、私達はまた、同じ場所に立っている…のかも知れない。

関連記事

TOP