土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
私は「私は正しい!」は正しいと思っています。それは私自身が自分を「正しい」と思っていて、それを「正しい」と表現することは正しいことだと思っているからです。
哲学的な表現になりましたが、私自身はこれまでいろいろなことがありました。いいことも悪いことも同じくらいだったような気もしますが、俯瞰してみると、とんでもないような過去も今の自分を築いた過程においては、実は大事な経験だったとも思っていたりするのです。
手に入ったものもあれば、得られなかったものもあり、失ったものもあれば、培ってきたものもあるというような感じで、さまざまな出来事が人生の経験値としては足し算となり今の自分があります。
もちろんすべてに満足しているわけではないですが、すべてに不満足ということもありません。
このように考えると、これまでの人生はまぁ正しいかな、ということになるのですが、日々のあれこれは正しいこととそうではないことが複雑に絡み合っていたりして、結構忙しいなという気がします。
特に業務において判断や意見を求められたときは「私はこれが正しいと思います」ということを述べるわけですが、後々考えるとやっぱり自分の発言はちょっとずれていたかもしれないとか、半年たってからあの人の発言のほうがやはり正しかったと合点することがあります。
それで、私はこれが正しいと思う、と発言したあのときのことを振り返るのですが、発言の内容自体は確かに正しくなかったけれどもあのとき置かれていた自分の環境だとあれを正しいと判断した自分は正しかった、とかあのときまでの自分の経験値だとあの発言はやむを得ないことだった、ととにかく自分を正当化している自分に気づくのです。
また、それでもそれでも、という事態も何度かありました。でも言わなければならない、でも私の方が正しい、でもこうしたい、という場面です。少々度が過ぎた場面というところでしょうか。こういうときは、身近な人もそうですが、普段は遠くから見守ってくれている方が気を遣ってくれたり言葉をかけてくれました。
なるほどそうかと身を引いたこともあれば、でも私が正しいと突っぱねたこともありました。
しかしながら今振り返ると、どの選択肢もあのときの私にとっては正しい選択肢でした。やはり私はどこまでも自分を正当化しているのです。
なんと利己的な人間なんだと自己評価する一方、実は人間はどこまでも自分を正当化しないと生きていけない生物なのではとも思うのです。それはどこかで自分を否定したらそこから病が始まるのではないかと思うからです。幸い私は今は健康です。多少のあれこれはありますが、健康か不健康かといったら健康ではあるのです。しかしながらもし、私が自分史のどこかを否定し、それをあってはならないものと下した瞬間、自分自身を失う気がするのです。そうなったら体は生きていても心はおかしくなってしまう気がしますし、自ら命を絶ちかねないとも思います。だから自分は正しい、は正しくあってほしいと思っているのです。
自分は正しいと自己暗示をかけている私ですが、これまで結構な失敗や損失を被ってきました。そして失敗や損失に気づいたとき、反省とともに普段は甘い自分自身に、怒りと後悔の気持ちを抱きました。
あのときあの人の助言に耳を傾けていればとか、なんであんなことしたんだろうかと振り返り、ため息をつき、損失の大きさを実感するのです。そして後悔の対象となった自分には自分以外の信頼に足る味方はいませんでした。
それでもそれでも、の行く末は周囲から信頼に足る人が去る、だったのです。辛うじて自分だけは自分のそばにいたけれども、自分から他人に声をかけづらい状況であり、他人も私を疎遠に感じていたと思います。
以来孤独とは、自分は正しくないのかもと気づかせてくれる信号だと考えるようになりました。そして今は、いかにその信号が点らないようにするかを研究しつつ、裏ではダメな自分を許したり励ましたりして、一生懸命自分を正当化しています。
クヨクヨしない人やいつもポジティブな人がいると、私にとっては、自分は正しい、のお手本のような存在にみえます。
そういう人は心を失うことはないだろうと思うからです。それでも自分は正しい、と主張している人に対してはその人が孤軍奮闘となってないかを観察しています。
孤軍奮闘になっていたら、その方がいつか自分自身を反省し、自分に対して怒ることができるようにと願います。それよりも自分一人で挑まないで、仲間を得てから闘う方が自分の正しさをより主張できると助言をしたいです。
恐ろしいのはその方が自分でさえも自分が正しいと思えなくなったときであり、自分自身に対する怒りすら自分に向けることができなくなることです。
改めて怒りを考察してみましたが、自分は正しい、は価値があることだと思った次第です。
◆プロフィール
吉岡 理恵(よしおか りえ)
1981年東京都生まれ。
東京都立大学経済学部卒業。
20代は法律系事務所にてOL、30代は介護・障害福祉分野で現場の実務や組織マネジメントを学ぶ。女性管理職応援中。
CLO 最高法務責任者