土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて③ / 高浜 敏之

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

3 デイサービスでの試み

認知症の方や高齢障害者の方の居場所であるデイサービスの運営がスタートした。

はじめのポリシーは、お決まりのプログラムやレクリエーションなどのスケジュールでがんじがらめにされない、より自由度の高い場所を作ろうというものだった。個々の持つ個性や能力や特性や趣味嗜好を最大限発揮できるような場所にしたいと思った。一人一人の歴史と自律性を最大限尊重したかった。あるがままの存在を肯定できるような、無限抱擁へのチャレンジをしてみたかった。

まず直面したのは、人手不足問題だった。ハローワークに募集をかけても、ほとんど応募はない。まずはおつきあいのある友人たちに、一緒に働けないか、手あたり次第に相談した。そのうちの何名かの方々が、全面的に協力してくれた。

一時暗闇に覆われた窪みにはまってしまっていた私のリカバリーを支援してくださるという、半ばボランティア支援のような側面もあったように今となっては思われる。

疎遠になってしまった仲間たちだが、彼女たち/彼らの存在があって今の私/私たちがいる、ということは間違いない。この場を借りて、深く、深く、感謝の意を伝えたい。

まさに0/1期の、初期衝動があふれかえる、手作り感満載の日々だった。いろんなスタッフがいて、いろんな利用者さんたちがいた。いろんな人たちがフラットに関係して、あるがままの存在が肯定されるような場所を目指した。

元学者さん、元暴力団関係者、元スタイリスト、元社長さん、元ホームレス、元精神障害者の作業所に通ってた人、元お医者さん、元エンジニア、などなど、とにかくいろんな人たちがいた。いろんな人たちと、いろんなことをした。

いろんな人たちがいるから、いさかいも絶えなかった。安心・安全・安楽を極度に追求しすぎると、排他的共同体ができる。かつて安心ファシズムという言葉も流通した、そうはなりたくなかった。

対立をどう乗り越えていくか。利用者さん同士しかり、スタッフ同士しかり、ときには利用者とスタッフの対立も。

対立をなくすのではなく、対立をどう受け入れ、どう調停し、対話と理解を繰り返し、どう和解と共存にいたるか、そんな世界史的課題について、デイサービス土屋という小さな空間で取り組んだ。ちょっと哲学的な言い回しを使うなら、私たちは他者の他者性をどこまで留保なく歓待できるか、そんな挑戦の試みでもあった。

これは、とても厳しく、かつとてもやりがいのある、試みだった。

多様性への道は、基本いばらの道だと思う。過剰なまでに安心街道を往きたいと思った瞬間、多様性は遠ざかる、そのような確信がある。

多くのご利用者さんやご家族と出会い、在宅と施設の間にはまあまあ大きく深い谷間があることを知った。この谷底に落ちてしまうことは、最悪の場合は死に至るかもしれない、そんな懸念すら感じた。

なんとか橋渡しをしたい、ライフステージがスムーズに移行できるように、ケアマネージャーさんや訪問介護ステーションの方々と綿密な情報共有をして、橋になりたい、そう思った。

この橋を作るコラボレーションに参加した多くの方々、スタッフ、ケアマネ、他事業者さん、ご家族、などなどに協働者として、友情すら感じた。尊敬の念を抱いた。

はじめのころは、なんでもやった。朝の送迎、昼食づくり、男性利用者の入浴介助、レクリエーション、担当者会議、シフト作成、スタッフの声を傾聴する、レセプション業務、などなど。非常に充実した時間が流れた。

妻もリハビリが順調で、顔に傷跡がうっすらと残りはしたが、事故前とほぼ変わらないところまで回復した。デイサービスは利用者さんもスタッフもだんだん増えてきて、役割分担も進み、比較的ゆったりと運営に取り組めるようになった。

妻はもともとマスコミ関係のお仕事をしていたが、社会復帰の第一歩は重度訪問介護のお仕事をすることにした。私が深く尊敬している障害者運動のパイオニアの一人の事業所で、資格を取り、脳性麻痺、知的障害、頚椎損傷などなど、様々な障害をお持ちの方々と出会っていった。

デイサービスのスタッフには、ちらちら外国人の方々も増えてきた。ビルマ出身の方、ルーマニア出身の方、中国出身の方。ますます私たちの場所は、多様になっていった。

ほとんど日本語が話せない彼女たちだった

ノンバーバルコミュニケーションのパワーと重要性を、この時ほど実感したことはない。他者の他者性を歓待するための最大のツールは笑顔だ、と思った。その思いはいまも変わらない。

君には管理職は向いてない、無理だ、やめたほうがいい、と仲間たちに言われたが、意外といけた。もちろん失敗だらけだった。しかし、失敗を許してくれる、見逃してくれる、大目に見てくれる寛容な仲間に恵まれた。

つまり運がよかった。私も会えてラッキーだった、そう思ってもらえるような人になりたいと思う。そのための努力をしたいと思う。

日々、私たちの試みは続いた。

そんな試みの記憶が、株式会社土屋の原点であり、故郷である。

 

◆プロフィール
高浜敏之(たかはまとしゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。

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