土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
私の書いたコラムを読んでくださった方なら、どうもこの牧之瀬某という奴の福祉観は、いうところの制度についてのことではないなとお感じのことと邪推いたします。
そうです。
日本の数学者・岡潔は数学なんてやってなんになるんですかと問われると「スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうとスミレのあずかり知らないことだ」と答えたそうですが、この言葉には本当に胸を打たれます。
私は「福祉」をするにあたり、その人がその人らしくあって欲しいと単純に願っていますし、その手伝いもしたいと思います。
以前、重度訪問でお邪魔したお宅で、新しいスタッフに引き継ぐべくレクチャーをしていた時のこと。
訪問先の台所でお皿を洗っていて、新人スタッフに「ご家族のも洗うんですか?それってヘルパーの仕事超えてないんですか?」、と聞かれました。
それに対し、私は「◯◯さんは一人の人であると同時にこの家では妻で母でしょう。だから◯◯さんのヘルパーである俺は、家族の皿を洗うことがあってもいいと思う」と言いました。
仕事の内容について議論の余地があり、厳密な法と例外に照らし合わせれば、この時新人が言うようにご家族の分の食器を洗うことは、或いは一ヘルパーがやることとしては逸脱しているのかもしれません。
また、当時(今もですが)自分の手際の悪さもあり、色々と用事が終わらなくて、少し時間が契約時間を過ぎても、まだ何かやっていることもあったと思います。
また、実は新人ヘルパー氏に対し、訪問先の方で嫌味でも何でもなく「彼には別に求めない」というのも起こることなので、はなっから全部伝授するということも現実憚られるということも起きます。
そう言った法的側面の曖昧さまで新人に負わせるのは酷なのではないか、という考えがその時頭をよぎったと記憶しています。
産業的に高度には、「支援を提供」することができなかった一人です。
フェイスシートや支援手順書を見て、支援の具体的内容を想像できる方もおられると思いますが、知見と理解がそこまで深くない私は、私にとって「先輩」に当たるヘルパーの方に、教えられたことをまず叩き込む、たたき込んだあとご本人に私の我が出ている部分を調整をしてもらう、こなれてくる。という流れでした。
こう見ても、重要度の高い行為だけ念押しして、あとは「お二人にお任せして…」ということでも良かったかも知れないな、多分よかっただろうな、と今では思います。
当時、私はコーディネーター業務に力を割きたく、どうにかしてその日の現場支援を新人に引き継ぎ、同じ曜日の担当現場を増やしたいという気持ちもあったことは事実だと思います。
福祉をやっていて、「なんでこんなことやってんだろうな」と私も思うことがあります。それは私に限らず人間には自我があるということに原因があるからだと考えています。
本能としては自分が助かればとりあえず良いはずです。
進化心理学(進化の過程から人間心理を読み解こうとする学問)では、社会的肉体的自己保存が判断基準の根幹、第一に大事にされる前提とされます。
なんで人間は福祉を始めたのでしょうか。また、やめないのでしょうか。
動物は奇形や障害のある子が生まれると群れから外して見殺しにします。
昔はお産婆さんが、「畑耕すじゃなし勉強するじゃなし」と言って産まれてすぐ「しめた」とも言います。
アウシュビッツも強制不妊手術も、そんなに遠い昔ではありませんし、やまゆり園の事件もあったし、施設での虐待も未だあります。
そういう「そもそも論」の引き出しが、頭の中の至る所にあり、私は気がそぞろになります。故に遅い。
虐待はなぜ起こるのか(ほらまた開いた)。「楽に流れようとする」もしくは「人間の価値の範囲を勝手に決めてしまう」ことによって福祉の本来の意味、面白さから遠ざかっていくのでしょう。
さて、約40年生きてきて分かることは私が「なんで」と考える頻度が多いことと、それが時と場所を選ばないこと、その多くが一人で考えてもほとんど解決されないことです。
重度訪問の一対一の環境は、相手が「〇〇してほしい」ということがまずありますから、私のモヤモヤ回路が発生する機会が日常に比べて極端に少なくて済みます。
「〇〇してください」「できました」「はいはい」という流れの連続で軽快に。
しかしコーディネーターの仕事に見られるように、できるだけ多くの方の支えになろうとする一方、一人の方の支援だけを続けていてはそれが叶わないのではないか。という状況は、常にあるジレンマです。
一支援者として、「牧之瀬さん来てくれたの」と安堵の表情で出迎えられることは、全くもって支援名利に尽きることなのですが、それを自分だけが独り占めしてはいけないとも思います。それを多くの人に向ける光にする。それはエンパワメントじゃろうが〜。
私が田舎の育ちのお上りだからなのか、私の生来の気質からくるのかはわかりませんが、私は正直に言って他人が他者とどういう気持ちで関わっているのか皆目見当がつきません。
「仲が良い」ということもどういうことを指すのか、よくわかりません。
「誰それと牧之瀬くん仲が良いね」「誰それと合いそうだね」と誰かに言われると、「俺今までどう振る舞ってたっけ」と、かえって意識してしまうので、なんだか変な感じになってしまいます。
基本的に太々しい顔をしていますので、そういう時は「そう?」なんて言うのが常ですが、内心もやもやしています。
私はもう来年40になり、孔子が言うところの「不惑」の齢を迎えますが、全然定まりません。定まらないという性質自体を「諦め観る」ということが「不惑」認定することもできなくはないよ、と孔子の方で幅を持たせてくれるのであれば、「不惑ギリギリ補欠合格」ぐらいにはなるのかなとは思っています。
ところで“すみれ”でないにしろ、私は一体何の花なのか、SMAPの皆さんが仰るところの花屋の花ではなさそうなので、どっかその辺の野っ原か道路の脇の花なのか、まあとにかくどの花なのか分かりません。何のスペシャリストでもないし、転職も多いです。
今年亡くなった漫画家ジョージ秋山氏の描く愛すべきキャラクター、ゴロツキでスケコマシの「毒薬仁(どくぐすり・じん)」が涙ながらに絶叫する『オリ(俺)はダリ(誰)なんだよう!』は私の心に大体鳴っている声でありまして、2、3年に一度、この台詞を大声で言いたくなる夜があります。基本、どうかしています。
どうですか、モヤモヤしていますでしょう。けれどそんな私も、支援の現場にいれば「支援者」だと一応レッテルか称号かが貼られます。
そういう作用も、「支援の現場」の大きな力だと思っています。
◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ
宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。