土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
「うまくいくわけがない。」
小さな声が聞こえた。
「うまくいってほしくない。」
大きな声も聞こえた。
違う。
うまくいきたいのではない。
もう、間違えたくないのだ。
収入がなくなるかもしれない。
負債を負うことになるかもしれない。
誤解も軋轢も断絶も拒絶も犠牲も、生じるに違いない。
それでも行動したこと。
それによる今に、そろそろ目を向けてみたいと思う。
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二年前、鎖骨を骨折した。
人生初の入院、手術だった。
聞くと鎖骨は首や頭を守るために折れやすくなっているという。
瞬間、「これは普通じゃない」と思った。
すぐさま近所の整形外科へ。
レントゲンを見るなり先生は、「これは手術しかないね。」と言った。
運悪くその日は土曜日で、暦は三連休だった。
「手術ができる病院も連休明けの診察になるから、ドラッグストアで三角巾買ってさ、吊ると楽になるから。」
それから、連休明けの火曜日まで三角巾で凌いだ。
あたりまえの日常は、すぐ非日常になった。
二つ、大きい病院に紹介状が書けるという。どうせなら土地勘のある場所がいいと思い、自宅から近い方に問い合わせた。
骨折の状況と痛みと、実はそれ以外にも伝えなければいけないことがあった。
「妻の出産予定日がまもなくなのです。ふたりの子供もいるからなんとしても立ち会いたいのですが、すぐに手術してすぐに帰れないでしょうか?」
応対する電話口の、関西弁をまろやかに東京弁ぽくしたイントネーションが、なんだか染みて、泣きそうになった。
骨折してからすでに数日経過していることもあり、すぐに入院して、即日手術をすることになった。
ただ、残念なことに、妻の出産予定日は入院と同日だった。
鎖骨より、妻の不安と絶望が痛かった。
空いているというので窓際のベッドに通してもらった。
プラスでいくらかかかったように思う。
眺望は悪くない。
空き地が広がっている。
一年後には大浴場が完成するらしい。
その景色をみるまでは、一年後なんて当たり前の未来だと思っていた。
たかが鎖骨骨折というのに、無事を祈りながら大きなおなかをさすって泣き笑う妻と、まもなくうまれるちいさな命と、一時でも仮死状態に晒されなければいけない現実と、その彩度に、瞬きも躊躇してしまった。
午後の手術が長引いており、呼ばれたのは夕刻だった。
手術室には歩いて向かった。
広いエレベーターを降りて大きい扉を抜けると、そこは冷凍庫のようで、オペナース達はテキパキというより、無声映画のごとくカクカクした動きにみえた。
寒くて怖くてたまらなかった。
一通りの説明を受け、手術台へ。
「いまから麻酔の点滴を落としますね。」
鳴るはずで、でも万が一鳴らないかもしれない目覚まし時計を渡された。
目を瞑るとそこは宇宙だった。
ぷかぷかと遊泳しながら呼んだ子供の名前は、二人目の途中で途絶えた。
次の瞬間、肩をたたかれて目を覚ました。
◆プロフィール
笹嶋 裕一(ささじま ゆういち)
1978年、東京都生まれ。
バリスタに憧れエスプレッソカフェにて勤務。その後マンション管理の営業職を経験し福祉分野へ。デイサービス、訪問介護、訪問看護のマネージャーを経験し現在に至る。