【異端の福祉 書評】『異端の福祉』を読んで / 杉本憲和(ホームケア土屋 東海)

『異端の福祉』を読んで / 杉本憲和(ホームケア土屋 東海)

私は異業種から重度訪問介護の世界に入ってきました。「異端の福祉」の内容から少し反れる内容も含むかもしれませんが、書かせていただきます。

私は現在47歳になりますが、30歳の時に勤めていた会社の有給休暇を利用して人生で初めて海外旅行を経験しました。初めて海外の地に降り立った際は不安でいっぱいだったのを良く覚えています。

ただ、そう思ったのも数時間で、いつの間にか新しい世界は煌めいているのだと感じました。それは今でも言葉に出来ないですが忘れられない感覚で、今でも悩んだ時や困った時はその時の事を良くイメージしてプラスの力に変える原動力になっています。

その後、約10日間の海外旅行を終え、日本に帰国して数日、何気ない日常生活を過ごしていたのですが、新しい世界の煌めきを常に考えるようになり、日本での生活が息苦しいものになっていくのを日に日に感じており、帰国後1か月も経たないうちに新しい世界での生活を心の底から願うようになりました。

その後は、当時勤めていた会社に直ぐに退職の手続きをして海外行きの航空券購入とありったけの所持金を集めて、親の反対も聞かず海外に飛びました。

再び海外に降り立ったときには終身雇用制度や保険など、今まで日本国内で就業していた際に守られていた制度が全くない現地採用という、その国の就業条件で働くという内容で、それはその国の法律に従った内容で外国人だからといって優遇されるといった事がない過酷な世界でした。

その後、約12年の海外生活を過ごしましたが、コロナウイルス感染症拡大の余波を受け、日本に帰国をせざるをえなくなり、知り合いを通じて株式会社土屋に入社しました。

言い方は悪いですが、良いイメージが沸かない福祉、介護という世界に身を投じた時の不安感は言葉では言いようがない感覚でした。

ただその福祉、介護という世界は、私が海外で経験した生活そのものではないかと感じております。その意味は、昨日まで普通に出来た事が普通に出来なくなる世界であり、その国の言語を理解していない私には自分の意思を相手に伝える事も普通にはできず、視線やジェスチャーでしか伝える事しか出来ません。

自分の伝えたい事を相手に伝えるのがこんなにも難しいのだと肌身で感じました。今思えば、それは障害のあるクライアントが普通に社会生活を送りたいと思う感情に似通っているのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、社長の執筆した「異端の福祉」を拝読し、改めて思う事は、障害をお持ちの方が、普通の社会生活を過ごす事がどれほど難しいかを考え直す機会になった事です。

私が重度訪問介護の仕事に就いた時は、とにかく一生懸命、目の前の支援が必要な方が普通の生活を送るためにと、支援に入っていたのを良く覚えています。当時は、重度訪問介護というのは高齢者介護と同等のイメージしか持っていませんでしたが、今では重度訪問介護の支援に入れば入るほどその深い意味が見えなくなっていくのも実感しております。

支援に入れば入るほど、クライアントの求める社会生活を送る事は、私が考えている以上にクライアントは本気で、命がけで訴えかけられていることが身に染みて感じることができるようになったと思っています。

その重度訪問介護サービスが運用されているにも関らず、そのサービス使えない人がたくさん存在する。さらに言えば、重度訪問介護サービス自体を知らない人もそれ以上にたくさん存在する事が分かりました。もっと言えば、地域によっては行政の障害福祉課担当者も重度訪問介護について詳しく知らない人がいるという事も衝撃的な事実でした。

そんな中で重度訪問介護サービスを世間に広めるには、やはり1歩ずつ前進してサービスを広めるための地道な努力が必要不可欠であると感じております。

人材確保することによりサービスを受ける事ができる方が増えます。人材確保は離職率を下げる事が最大の近道ですが、待遇面だけでなく精神的なサポートも重要となります。そのため、クライアントだけでなくアテンダントに対してのコミュニケーション能力も疎かにできないと思います。

土屋は将来的に福祉の総合商社的な存在になる力を持っていると私は強く信じています。土屋が様々な動きを行う事がクライアントの未来、土屋の未来を豊かにしていけるのではないかと感じる日々です。そこに少しでも社長の描く未来の力になれればと感じております。

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