ニュージーランドでは、プライバシーは人権の大事な一つとして考えられている。それを聞いて「なるほど」と思いあたったことが色々ある。
プライバシーを尊重するということは、自分の時間や自分のスペースを守ることであり、それが人権であると考えられているのだ。
子どもが生まれても、ベビーシッターに子どもを預けて、夫婦で出かけたりすることや保育料が高くても、自分がやりたいことを優先することがプライバシーの観点から大事にされているというわけだ。
また、子どもたちも、実に幼い時からきちんと自立できる人になることを目指されている。
ニュージーランドで出会った親子の中に、日本ではそれまで全く出会ったことない親子がいた。
その子は、1歳前から厳しいトイレトレーニングを受けていた。
紙オムツを変えるときは自ら紙オムツを持ってきて、母親の前に寝そべり足を広げ、母親の言葉に従って、お尻を綺麗にしてもらっていた。
最後には、汚れた方のオムツを自ら丸めてゴミのバケツに走って捨てていた。
人と違った身体で生まれた私には、彼女の気持ちがその一連のプロセスの中にちっとも見えなかったので、「大丈夫かなぁ」と思ってしまった。
私は、子どもが幼いときに関わる大人たちが自分のプライバシーをあまりに大事にしたのでは、子どもたちがとても可哀想に見える。
つまり、幼児期にも人として侵してはならない人権がある。それは幼児期にこそ大事にされなければならない。
なぜなら、その時期は子どもの気持ちや要求を大事にすることがひたすら必要なのだ。
幼児期は、自分の要求も周りの大人にとって、価値のある大事なものなのだということを伝え、共感力や人をケアするということの大切さを学ぶ時期だ。
にも関わらず、大人世界から常にあなたの要求は、全く劣った人間の要求で、早く大人たちのようにプライバシーを尊重できるようにならなければと見られ、煽られる。
そうされ続けたら、人としての自信はなくなってしまい、人生は生きがたいものになってしまう、と私には思える。
私は0歳〜2歳まで、痛い注射をたくさんされていた。
それは2年間に渡って続いた。私はその痛さを言葉では伝えられなかったから、泣いたり怒ったりして、母親に伝えまくっていた。
それ故か、母親は私が1歳になる頃にはその注射を辞めさせようと無意識に決意したらしい。
彼女は、医者たちに抗議することはできなかったが、妹を妊娠することで、約半年後にはその残酷な注射の投与を止めてくれたのだった。
もし彼女があの時に、彼女自身のプライバシーを私をケアすること以上に大事なものと考えていたら、
私は病院に入れられっぱなしとなっていたか、泣いても無駄だとすっかり諦める人間となっていただろう。
少なくとも今のような私にはなっていない。彼女にとって、大事だったのはプライバシーよりもケアだった。
西洋近代社会は、デモクラシーと人権の思想を説き、それは非常に社会を平和にするために役に立ってきた。
私は、私の生まれた年に日本政府が経済白書をまとめた中に「もう戦後は終わった」という文言があったことを知っている。
日本社会は戦後すぐに平和憲法を成立させ、もう二度と戦争はしないと宣言していた。
にも関わらず、敗戦の1945年から私が生まれた1956年まで、凄まじい貧しさがあったから、日本はそれを乗り越えようと高度経済成長に突入していったのだ。
その中に、少しずつプライバシーという概念が注入されていった。
ケアの思想は、ほとんどの場合家族主義とごちゃ混ぜにさせられ、それは子どもを生む側の女性が担い、男性は経済成長を担う資源となっていったのである。
その後さらに、日本はデモクラシーと人権を学んではきたが、それと同時にケアの思想の大切さは打ち捨ててきた様な気さえする。
それどころか、先にも書いたようにプライバシーの尊重が言われ、それが経済消費至上主義ともミックスされ、人々の生き難さを作ってきた。
私のように人と違った身体を持っている者にとっては、プライバシーを守るということは、時に自分の命を追い詰めることにつながる。
例えば、このニュージーランドの白人社会では、助けを求めたり、求められたりすることも、ある種プライバシーの侵害に当たると考えられるというのだ。
私の娘は、私と同じ様な体質で骨折しやすい。
私が娘を育てている時には、私の中にはプライバシーの尊重という概念はほとんどなかったから、娘が骨折した時には大騒ぎで助けを求めた。
その頃私は、多様性と助け合う関係性を求めて、シェアハウスをしていた。
そこには、娘の命を守り、感性を育てることが最も大事なことだという、私の立ち方があった。
娘が骨折したり、風邪をひいたりしたときは、娘の看護にシェアメイトも否応なく動員された。
それが当たり前の中で娘は育った。ところがニュージーランド社会は、ケアの思想よりプライバシーが大事な社会である。
助けを求めることより、自分の領域をはっきりさせてそれを大事にして、人と繋がり合おうとしても、人と違った身体を持つ身としては、それはなかなかに難しい。
プライバシーの尊重という考え方は、私にとっては人権のトップ領域にはない。
自分の排泄でさえ、人の手を借りなければならない身としては、プライバシーを尊重されて1人でトイレに行けと言われても、それは不可能だ。
だから反対に私は介助者をする人達に、トイレに入ったら環境保護のためにも水を節約すべく一緒にトイレをしたりする。
障害を持つ人の解放は、ケアの思想の深化と充実によってしか得られない。
それはもう一度繰り返すが、人権のトップ領域にプライバシーという概念は入り難いということでもあるのだ。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。
アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。
障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。