土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
〈前回までのあらすじ〉
秋之は42歳で会社を辞めて、友人のすすめで知的障害のある方の外出を支援するガイドヘルパーの仕事をはじめてまだ間もない。ある日、他のヘルパーが急遽休んだために晴明という男性のガイドをお願いされる。電車での楽勝な移動のはずなのに、晴明は一駅ごとに降りて電光掲示板を確認してまた戻るということを繰り返す。ぼやき疲れ、足もくたびれていたが秋之は晴明をとにかく見失わないように必死で後をついていった。電車は東京駅へ差し掛かろうとしていた。
◇ ◇ ◇
秋之に一つの可能性が閃いた。もしかしたら東京で晴明は電車を中央線に乗り換えて、そこから一気に集合した駅まで帰るのではないかという可能性だった。山手線巡りは今日はこれで終えて、帰宅の途につくだろうという淡い期待だったが、もちろんそんなことはあり得なかった。
そんな「妥協」は彼は受け入れないのだ。
「だよな…」
秋之もあり得ないことがよく分かっていた。もうすっかり晴明が「妥協」とか「ほどほど」とか「空気を読む」とかからほど遠い人間であることは分からされていた。我が道を突き進む奴なのだ。
山手線が上野駅まで来たときちょっとしたトラブルがあった。改札でくるっと振り返った時に後ろから歩いて来ていた人と晴明がぶつかったのだ。その人は、いわゆる、なんというか怖そうな人だった。
「痛えじゃねえか、この野郎!」
晴明はまったく動じない様子だったが、秋之の方が震え上がってしまった。
「ごめんなさい」と連呼して秋之はとにかくその場を穏便に済ませようとした。怖い人は「ちっ」と舌打ちして聞き取れないくらいの声で何か文句を言っていた。
必死に謝罪を続けようとしていざ本人はと探してみると、晴明は既に電光掲示板のチェックを終わらせて次の駅に向かうべくホームに戻ろうとしていた。
「まったく、ぶれてない」。それを追い掛けて秋之も走った。ここまで来ると敬意すら感じてしまうから不思議だ。
怖い人は追い掛けては来なかった。秋之は助かった、と思った。電車に乗り込むと膝に力が入らず、わなわなとその場に座り込んだ。
あの有名な芸人のコントでの言葉を自分がガチで言うとは思わなかった。
「なんて日だ!」
おい、晴明、いい加減にしろよ!秋之は一言言いたかったがもうその元気もなかった。仮に元気があったとして言葉を投げ掛けても、晴明が一番前の車両から景色を眺めることを中断して「ごめんね、やめよう」なんて言う訳がなかった。どうせ背中を向けて、こいつは自分の思う道を何の迷いもなく突き進んでいくに決まってる。
「こいつはそういう奴だ。やると言ったらやる奴なんだ」
◇ ◇ ◇
電車は大塚を出て池袋に向かっていた。空は暮れなずんできていた。
遠くにサンシャインビルが見えてきた。線路沿いに立ち並ぶマンションやアパートは変わらずそこにあった。
「久しぶりだな」。秋之には見慣れた景色だった。一つ一つの景色に懐かしさを感じる度に心が重苦しくなってくる。
サンシャインの麓の南池袋に秋之が42歳まで勤めた会社はあった。大学を卒業してからの約20年間通った場所なので故郷に近いような場所である。
しかし、今はもう思い出したくない。
最初は幸福な仕事人生だった。iモード全盛期、まだSNSなんて言葉がない時に秋之はパソコンのシステムエンジニアとして就職し、次から次へ新しいサービスを世の中に打ち出していく仕事をしていた。それはまるで未来を切り開いていくようなワクワク感があった。
それから10年ほど経ったころだったろうか。窮屈で軽薄な世の中が徐々に極まってきて、アメリカでサブプライムローン危機があり、リーマンショックなどで日本もその煽りをもろに受けて経済は滅茶苦茶になり、社会が殺伐としてきた。その6年後に社長が変わった。
アメリカで経営を学んで来たという新しい若い社長は会社で働く者のルールをまず打ち出した。これを毎月テストする。それに合格できたものが昇給し、できないものは追い込まれるような状況になった。
「タイピングスピードはバリ速であること」。まずこれを言われた。遅いことは無駄を生み出す。非効率だと言われ、月に一回検定がありクリアすべき速さが設定されて、みんなそれを目指すようになった。
次に「マウスのスピードはMAX」「ショートカットキーを設定」が標準だと言われて、スタッフ全員にそれが求められた。そんなことをはじめとして定例会議の廃止、歓送迎会、新年会、忘年会の廃止など、とにかく仕事の無駄を徹底的に省くことが求められた。全てに効率の追及が求められると、いつの間にか「できない」人間は無駄だというような空気が会社に蔓延した。
驚いたことに若き社長はそれを「当たり前」だとした。
とにかく無駄を省き生産性を上げること。生産性が低い奴は無駄。会社に「できる組」と「できない組」が生まれて、「できない組」は白い目で見られるようになり、居たたまれない雰囲気に追い込まれていった。秋之も「できない組」に入れられていた。
若いスタッフは社長の価値観と同じような奴が多かった。可哀想に、殺伐とした中で生きてきたんだなー、と最初は同情さえしたくなったが、徐々にそちらが圧倒的多数を占めるようになり逆に同情される側になっていった。
昔からいるスタッフの中には社長についていけない人間もいて、彼等は次第に辞めていった。社長にとってはそれも大歓迎だった。
秋之は仕事が苦痛になってきた。会社に行くのが億劫で朝起きられなくなってきた。遅刻の連絡を繰り返したが、それこそ無駄の極みとして他の社員から扱われるようになり、あるときから目眩がして出勤もできなくなった。
秋之がちょうど38歳のときだった。
山手線が池袋に到着した。降りる。改札を目指す。スーツを来た会社員やOLの中を晴明は一直線に電光掲示板に向かった。
くるっと振り返って「よしっ」といった感じで指差す。次第に秋之も晴明を真似して、なんとなく電光掲示板を見て「よしっ」といった感じで指差すようになっていた。
電光掲示板がいつもと変わらずそこにあることの確認がなんだか嬉しかった。
「だんだん俺も変な奴になってきてるのかな~ハハ」。自棄っぱちだ。
確認を終える。ホームに戻る。一番前の車両まで歩く。電車に乗る。
新宿に着いて晴明が総武線に乗り換えると「やっと帰れる」と安堵の気持ちが胸に広がった。
ほっとして秋之の表情も緩んでいた。晴明はというと、出発のときとあまり変わらない顔で一番前の車両から暮れていく景色をぶれない姿で見ている。
「おいおい、偉業を成し遂げたって感じがまったくないなー」と、秋之は思った。
しかしすぐ「いや、待てよ」と思い直した。
「こいつにとっては偉業でも何でもないんだ。多分休日の楽しい過ごし方の一つに過ぎないんだろう。例えばそう、俺が昔時々ゴルフをしたように。ゴルフの帰り道は楽しかったなーって思ったり清々しかったり、また行きたいなーって思ったりするけど、別に偉業を成し遂げたとは考えないもんなー」
◇
集合場所と同じ所で晴明のお母さんは待っていた。晴明はチラッとこちらを見ただけで「ありがとう」も「またね」もなく、背中を向けてスタスタ歩いて行ってしまった。
「最後までぶれない奴だぜ」
しかし、あのチラッと目線をこちらに向けた一瞬にすべてがあることも、一日一緒に過ごすなかでなんとなく秋之は分かっていた。
お母さんから代わりにお礼を言われて解散となり、ガイドの長い一日がそこで終了した。
秋之は帰りに銭湯に寄って汗を流し、疲れきった足をよくマッサージした。
風呂から出るとコンビニでおでんとワンカップを買った。録画したテレビを観ながら酒を飲んだ。
すぐに眠気が来た。久しぶりの心地よい眠気だった。
電気を消して布団に入って、秋之は眠りに入るまでぼんやり今日のことを思い出していた。
「今頃あいつもぐっすり眠っているのだろうか」
改めて「なんて日だ!」
だけど自分のこれまでの人生の中で特別な日になったことは間違いない。
一つ一つの駅の電光掲示板や上野での怖い人の怒った顔、車窓から眺めたサンシャインの風景、それらがもう一度ゆっくりと浮かんできては消えていった。
「一体、何だったんだろうなー」
考えても分からないことは分かった。
ただ、それを楽しみなのか使命なのかライフワークなのか、世の中の動きには一切関係なく人知れず淡々と行っている男がこの世界にいるという事実を知った。
それがなぜだか秋之の心を揺さぶった。疲れきった足を湯で揉むように、心がほぐれ柔らかくなってくる感じがする。心が耕されていくようだった。
福祉なんて自分には向いてないと思っていたけど、「福祉の仕事も悪くない…かもな」とちょっとだけ考えが変わっていることに気付いた。
「もう少しだけ、続けてみようか………」
急に、前にいた会社の社長が晴明のガイドに入ったらなんて言うんだろう?と思い、おかしさが込み上げてきた。
「無駄をなくせ、もっと効率的に、もっと合理的に!」
それこそ目眩がして倒れ込んでしまうのではないだろうか。
晴明の行動は自分たちから見たら無駄しかない。非効率にも程がある。合理性?ちゃんちゃらおかしいぜ。
だけど奴はぶれない。気持ちがいいほど明確で、頼もしい。
秋之はなぜか最近感じたことのなかった充実感のようなものを感じていた。
しかし、今日一日に「生産性」はあったかと問われたら……。
「まったくないや(笑)」。秋之は思わず暗闇の中で吹き出してしまった。
それが一体何だって言うんだ、そう思いながら穏やかに眠りのなかに落ちていった。
おしまい(^-^)