土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
ピアカウンセリングを学んでいる中で、私は、1人の子供が育つには15人ぐらいの大人が関わることが必要だということを聞いた。私自身もまた母親の兄弟姉妹や隣近所の人たちの眼差しの中で育ったので、その言葉には非常に納得するものがあった。だからうみが生まれる前から、何人かの若い人と一緒に暮らしながら育てようとは決めていた。
ジョン・レノンの「イマジン」の歌に「国境なんてないんだよ」という歌詞がある。私も全くそう思っているが、うみにはさらにそれがなかった。小さいときから私たち親以外の人が一緒にいるのが当たり前だったので、人に対する警戒心も怯えも本当に少なかったように思う。
私はいわゆる人見知りとか反抗期とかは全く大人の眼差しであって、子どもの立場からすれば侮辱的なものだろうと考えていた。大人でも、初めて会う人が怖い人はいっぱいいる。その人が安心かどうかを見極めるまで心を開けないという人は山のようだ。
ところが大人はその不安な思いを大人だからということで、表現してはいけないと思いこむ。そして自分から見て不安そうな人には不審者というレッテルさえ貼ってくる。子どもたち、特に小さな人たちは親の思いを瞬時に感じとるから、「この子は人見知りが激しいんです」と言われると、私は思わず親の方を観察してしまう。子どもがはじめての人に抱っこされて泣くのは、子どもが怖がっているのではなく、親が怖がっているだろうからだ。
私は宇宙には、どの人も怖くはないんだよと言って育てた覚えもないが、小さな頃から誰にでも抱っこしてもらうことを心がけていた。抱っこした赤ん坊に「かわいくない子ね」と思う人はいないだろうし、「いや、宇宙ちゃんを落としてしまったらどうしよう。怖い怖い」と言われても、そういうときには抱っこの仕方を教えればいいだけだ。
だから宇宙は誰にでも抱っこされることが平気だった。生まれたばかりの頃は、私は宇宙を抱っこしてくれた人と宇宙のツーショットを撮りまくろうと思っていた。しかし残念ながらその野望は自分が多忙になって潰えてしまったが(笑)。たぶん50人近くは彼女と一期一抱をしてくれた人がいるに違いない。その50人は一瞬関わった人という意味で、彼女の周りにはさらに50人以上の、それなりに濃厚な付き合いの人々が集ってもいた。
そんな中で人見知りが起こるわけもなかった。そして今でも思うのだが、私が彼女に期待したことは世間が子どもに期待することとかなり真逆のことだった。ほとんど大抵の赤ん坊や子どもは、親に「泣いちゃいけない」「泣かないで」という言葉を言われる。しかし私は宇宙が大泣きをすればするほど、賢く穏やかに育つに違いないと思っていた。だから多分1番彼女に言った言葉が「泣いていいよ」と言うものだった。
特に骨折をしたときは、泣くことこそが一番自己免疫力を高めると信じていたので、「泣いてもいいよ」と言い続けた。ただ、私もそうだったが、骨折をしたてのピークの痛みは泣くとさらに響いて痛みが増す。だから私が「泣いていいよ」と言い募ることがうるさくてならなかったのだろう、彼女は何度か私を叩いたり髪の毛を引っ張ったりして、私に「この痛みをわかれ」というように激しい表現もした。
私が何を一番彼女の育ちの中で気をつけていたかを考えると、彼女の健康でいよう・健康でいたいという意識を育てることだった。あまりにも障がいをもつ人たちの命は大切にされない。妊娠すること自体があってはならないということでの旧優生保護法や、現在では出生前診断等に見られるように、とにかく長生きしてほしいという生き物としての素朴な願いを踏み躙ってくるような社会構造とシステムの数々。それら優生思想の攻撃から身を守ること、つまり日々の健康の充足と、それでも起きるだろう骨折には、たくさんの涙と私たち大人のサポートで回復力を応援すること。この2つが彼女に伝わることが、私にとっては最重要であった。
宇宙が一歳になる前に保健師さんが訪ねて来てくれたことがあった。「初めてのお子さんで不安でしょうから」ということで来てくれたのだが、「私はあなた以上に彼女の体を知っているし、彼女の生きようとする力を信じ応援しているので」と言いながら1時間近く話を聞いてもらった。
話の内容は、「保健所主催の検診に行って、画一化した定型発達は聞きたくない。それと副作用・副反応が大きいと思われるワクチンの数々はきちんと選び考えて打っていく。今はおへそがポコんと出ているけれど、これを押し込めるための手術も治療も特に考えていない。食事も粉ミルクは仔牛のためのお乳であって人間が飲むものとは思えないので、1年間だけは母乳で頑張る。その後は玄米お粥にする」などを丁寧に説明した。話が終わる頃、その保健師さんは「もう何もお伝えすることはありません。よく考えていらっしゃるので敬服です」と言って、その後二度と訪ねて来ることはなかった。
続く
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。