高浜敏之代表が物申す!
シリーズ②

〜「わきまえない」を巡って〜

伊是名夏子さんの件について思うところ

 

わきまえる障害者

知人でもある伊是名夏子さんがJR東日本の無人駅で下車しようとしたところ、SNSを中心に議論が過熱しております。そんななか、伊是名さんは誰もが生きやすい社会を作るために、「わきまえる障害者」になろうとは思わないと宣言されてらっしゃいます。

私はかつて伊是名さんと同様に地域で自立生活をされる方々の介助者としてお仕事をしておりました。また日本の公的介護保障運動のパイオニア的存在の方々が運営する団体の事務局も務めて参りました。当事者の方々が、健常者と共に地域で生きるために、ときに熾烈なコンフリクトを通じた行政との対話のなかで創ってきた重度訪問介護というサービスがあります。そのサービスを日本全国で提供するホームケア土屋という事業所がございます。現在はホームケア土屋を運営する株式会社土屋を仲間たちと起業し、その経営を担わせていただいております。

約20年にわたって、介助者として、活動家として、経営者として、障害を持った方々と関わらせていただいた立場から、今回の事件のキーワードでもある「わきまえない」を巡って思うところを書かせていただきます。
 

常識の相対化

障害福祉の業界に入り、最初に出会ったのが現在参議院議員を務めてらっしゃる木村英子さんでした。最初は介助に入っている方とそれから木村英子さんから、障害福祉のいろはについて教えていただきました。木村英子さんが代表を務める団体で最初に求められたことは、今思えばそれまでの人生経験の中で身に着けてきた「常識」を疑い、その固定観念、すなわち「わきまえ」の外に出ることであったように思われます。

障害者とつきあうには健常者ならではの常識を相対化しなければならない。なぜならば、その常識にこそ、障害者差別のエッセンスが含まれているから。これから障害者が中心のコミュニティーに参加し、共に差別のない社会を作っていくには、まず自らの古い皮衣を脱ぎ捨て、新しい価値観や世界観を学ばなければならない。若かりし日の私は障害当事者から受け取ったメッセージをそのように解釈し、真に受け、素直に実践しようと試みました。
 

社会的バリア

活発に社会参加される障害者の方々と共に過ごすなかで、今回伊是名さんが直面したような場面は幾度となくありました。電車やバスへの乗車を拒否され、強い憤りのなか要求活動を展開する障害者の方々のそばにいて、困り果てた表情で対応する駅員さんやバスの乗務員さんの表情を眺め、どっちつかずの姿勢でそこにぬぼっと立っていました。そのこと自体バツが悪く、慣れてくるうちに徐々に一緒になって抗議するようにもなりました。だけど、自分たちが言っている主張がときに無理難題のように思えることもあり、共に抗議すること自体に戸惑いを感じることもありましたが、社会的弱者の側に立つことを決断したのだと自らに言い聞かせ、日々社会的バリアと出会うたびに行政担当者や公共交通機関の方々を詰問してきました。しかし、「わきまえ」を捨てきれなかった自分自身は、要求活動を展開するたびに心の葛藤がやってきました。
 

「わきまえない」主張

そんな私の迷いや中途半端さは当事者の方にも伝わったのでしょう、障害者の方々の鋭い舌鋒が行政や公共交通機関の方々でなく、支援者である私に向かってくることもありました。もちろん自己防衛のために反論することもありましたが、この議論が無理難題を吹っ掛けられているように思うこともあり、一言でいうと非常に苦しかったです。逃げ出したい、早くこのコミュニティーから去りたい、と思うこともしばしありました。「わきまえない」主張を受け止め続けた私は、乗車拒否された障害当事者や、それから障害者運動の活動家の方々に差別者として糾弾される行政担当者ならびに公共交通機関の職員と同様に、傷ついていました。

しかし、結局その場に数年間は留まり続け、「わきまえない」要求や行動を受け止め続けました。なぜ留まり続けたのかといえば、ひとつには気が弱く去る勇気がなかったということもありますが、もう一つにはこの「わきまえなさ」に固定的な価値観が転倒されたあとの清々しさを感じることがあったからのようにも思われます。辛いけど、この「わきまえなさ」にお付き合いし続けることで、自分自身の首を真綿でしばるような常識や固定観念から解放され、もっと生きやすくなるのではないか、そんな淡い下心があったようにも思えます。

あと、この「わきまえない」ことを意志的に決断している障害者の姿が、気になって仕方がなかったというところがあります。「わきまえてしまったらおしまい」。そんなメッセージが障害を持ち、社会に権利を訴えてきた方々の姿から伝わってきました。確かに、入り口で柔和な対話を求めても、誰も振り向いてくれない、という場面を何度も目撃してきました。まさに「黙殺」という表現がぴったりな状況に置かれたことが何度もあります。「わきまえない」で訴えることで、初めて対話がスタートした、そんな場面に幾度も出会いました。また障害者の方々が歩んだ苦難の歴史を学ぶことで、「わきまえなさ」の意味が少しずつ理解されてきました。社会の合理化が進む中でますますその存在が社会的排除の対象となり、効率至上主義の社会の中で生産性が低いといってその存在価値を否定されました。優生保護法のもとに強制不妊手術という恐ろしい人権侵害が合法的に行われました。時には医学的実験のモルモット替わりにされることもあり、ナチスドイツのT4作戦では障害者は積極的安楽死の対象となりました。

「黙っていたら殺されてしまう」という障害者活動家の方々がよく語る言葉を被害妄想と片付けることにダメ出しするには、悲劇のエビデンスが歴史の中にあまりにも多く散在しています。そんな学びを通じて、私の中に「わきまえなさ」や「無理難題」をそのまま切って捨てるのではなく、その背景にある想いや環境に対する想像力が芽生えました。

しかし、だからといって自分の中から「わきまえない」で要求することの葛藤がなくなったり、「無理難題」を吹っ掛けられたことによるフラストレーションが雲散霧消したかといえば、それは嘘になります。その緊張は体の中に滞留し、そのストレスから逃れるために過量飲酒がひどくなり、しばらく障害者介助ならびに運動からはリタイアすることになりました。いまはリハビリによってアディクションからも解放され、その事業に経営者として回帰し、その運営の一端を担わせていただいています。が、時に現場を担う弊社のアテンダントがサービスを使っているクライアントから「わきまえ」の欠如した無理難題を投げかけられ、困り果て、メンタルバーストしたり仕事をリタイアしたりすると、かつてのトラウマが再燃し、クライアントに対して強い憤りを感じることも正直あります。
 

共生社会の実現

ただ、一方においてクライアントの「わきまえなさ」に出会ったときに、クライアントの置かれた背景に想像を馳せることなく、即座にパワーハラスメントやモラルハラスメントと言い切ってしまうことにたいしても、違和感がなくはないというのが正直なところです。同様の違和感を今回伊是名さんの取った行動や発言に対して鬼の首を取ったように批判されている方にも感じるところは正直あります。

健全な対話や相互理解のためには「わきまえ」は不可欠だと思います。ただし、それが機能するのはあくまで対話する双方の権力関係に一定の均衡が保たれている、または対話が正常に開始した場合においてであり、社会的弱者に対する過度の「わきまえ」の要求は、「あきらめ」の強要にもなりかねません。「わきまえない」訴えを受け止め続けるのは非常に根気と忍耐が必要であることは百も承知です。

私自身も現在はスタッフが1000名くらいの、クライアントが500名くらいいる会社の代表として、時に方々から「わきまえない」声が届くことがあります。心が折れそうになることも、また「無茶苦茶なこと言わないでよ!」とかつてのトラウマの再燃のなかで怒り心頭に思うこともありますが、しかしそこをぐっとこらえて、辛抱強く「小さな声」を聞き届けて、かつ可能な範囲内で応えていくことが、コミュニティーの質を高める大切な方法だと思いますので、引き続き頑張っていきたいと思います。

なにはともあれ、今回の伊是名夏子さんの発言と行動は、賛否両論ありますが、合理的配慮やバリアフリーや共生社会の実現について多くの方々の関心を集め、議論のスペースを生んだという意味でとてもよかったのではないかと思います。
 

最後に

いま現在進行形で四方八方からディスられまくり言葉の集団リンチを受けてる伊是名さん、さぞかし辛いだろうと思います。正直、活動家をやってたときに障害当事者の方々から集団で糾弾されたときのトラウマがよみがえってきます。

また伊是名さんの権利主張と向き合い、重い電動車椅子を運んでくれたJRの職員の方々も、さぞかししんどかっただろうと思います。腰痛を抱えながら毎日複数の方々の入浴介護を整骨院に通いつつしていた頃のことを思い出します。

いま、みんな心も体も傷ついているんだと思います。もしかしたら伊是名さんをディスり続けている方々も傷ついているかもしれません。社会的差別によって傷ついていた障害当事者が私たち支援者までをも時に傷つけざるを得なかったのと同様に。そんな数多くの傷や痛みを無駄にしないために、合理的配慮や社会的公正や共生社会の実現について、感情論に走らない、より生産的な議論が、これを契機に再開されることを、願ってやみません。

株式会社土屋
代表取締役 高浜敏之