“ありがとう”が紡ぐ未来 / 小松史明(ホームケア土屋 高知)
常々考えること、それは当たり前のことを当たり前にすることが一番難しいということです。
私は機能訓練士として約10年、医療職に携わってきました。その後、ご縁があって土屋グループで仕事をさせていただくことになり、その時初めて介護の仕事内容と重度訪問介護というものを知りました。
そもそも機能訓練士を目指そうと思った経緯は、私が高校生の時にバスケットボール部のキャプテンをしていた時のことでした。当時の先輩のお父さんが整体師をしており、試合前になるとボディケアをしてくれていました。
ある時、キャプテンの重圧やプレッシャーから逃げたくなった時がありました。お父さんは視力の低下がある方でしたが、体に触れただけで「どうした?何かあったか?」と聞いてきて、私は知らないうちに涙を流しながら不安を打ち明けたことと、触れただけで変化に気付いたことに対して衝撃が走ったことを未だに覚えています。
その時、そのお父さんみたいな仕事がしたいと思ったことが、医療や介護というものを知っていくスタートでした。人の心に寄り添い、力になれる人になりたいと、夢と希望を持って就職しました。
そうして仕事をしていく中で、何度もその人らしい人生を。尊厳を。そのような言葉を耳にしてきました。ただ機能回復のための機能訓練ではいけない。そう思い仕事を始めて3年目の時に、ある一人の患者様をきっかけに、私も自立や選択についてよく考えたことがあります。
リスクを伴ってでもこれが食べたい。飲みたい。あそこに行きたい。それは本人の希望であり権利。今後、自分の両親が年老いてそのようなことを言った時、私は真っ先に食べさせてあげたいと、そう思いました。
生かされる生活や人生ではなく、自分の意思と希望を持って生きる。誰もが選択の連続の中で生きていて、誰もがその自由を持っていると思います。選択したことの結果に正解はありません。ただ、私たちができることは、その選択に対して全力で応えようとする姿勢が大事なのではないかと考えます。
しかし、介護する立場としては、リスクや危険なことを無視することはできません。極端な例でありテーマではありますが、この本を読んで改めて本人が望む人生と選ぶ権利は常に意識して仕事に取り組みたいと考えるようになりました。
介護という仕事は人と人で成立します。人と障害者ではないと私は考えて仕事をしています。“社会により障害を抱えさせられる”と、私も強く感じることが多くあります。また、障害であるか否か、判断するのは第三者ではなく当人であることの重要性も理解する必要があるのではないかと考えました。
私はこの本を読んで、障害者の地域移行が本格的に始まってから20年以上経っているのに未だに足踏みしていることを初めて知りました。同時に20年以上続いてきたということは、これから先の20年も続いていく可能性があると思いました。
人が困っていたら助けてあげる。そんな当たり前なことが当たり前にできていない、もしくはできない社会こそが障害であり、障害を抱えさせられることの意味だと思いました。
土屋という会社は、困った人に当たり前に寄り添って、当たり前に手助けができる会社であると感じました。これだけの大きい会社を短期間でここまで成長できた経緯は個人的にも大変興味がありました。
この本には、効率性を重視して利益を追求する。そして何より私は、従業員はコストではなく資産である。この言葉には大変感銘を受けました。
人を助けるためには、お金はどうしても必要であり、理想論だけでは人は救えないこともあります。スピードや効率を重視し、質を高めるために最良となるところに投資をする。ビジネスとしての形を固め、介護職というブランドを高め、従業員への還元がクライアントへの質の向上にも繋がる。
全てが繋がっていて、全てのことに共通しているのは“ありがとう”。感謝し合っていることだと思いました。利益だけを求めると本質が逸れ、大事なことを見失ってしまう可能性があると考えます。
“ありがとう”。
シンプルですが、1つのありがとうが1つの利益を生み出すのだと感じました。そのありがとうのバトンが介護の未来へ紡がれていくのだと、この本を通じて強く感じました。