お母さんのこと / 安積 遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

今日のUFOは横浜に飛ぶ。横浜に飛んで、何を皆んなに知らせたいかというと、「人は関係性の中でいくらでも変わり得る」ということ。

差別に普遍性はないこと。どんなに非人間的な思考の中に居ようとも、そこから出ようという決断さえあれば変わってゆくということを書いてみたい。

横浜には、私に「お母さんと呼んでいいのよ」と言ってくれた人が住んでいる。始めは、いや時々は今も少し抵抗を感じる時もあるが、呼んでいいと言ってくれたのにそれを拒絶するというのも勿体ないかと思い、ずっと「お母さん」と呼ばせてもらっている。彼女と私は年齢で言えば、たった7歳しか違わないのにも関わらず、だ。

孫が生まれるとわかった時、彼女は障害を持つ私と、孫もまた障害を持つかもしれないという可能性に大きな不安を感じ、出産には賛成できないと言いに来た。そして自分の子育てがどんなに大変だったか、子育てが一段落した後にも舅姑の介護が続き、それはそれは大変だった、と話してくれた。

それを言われた私は彼女から見ると、非常に怯え、震えていたらしい。しかし、私としては彼女に分かってもらおうと、「政治家になってでも介助制度を充実させる」とか、「一度私の家を見に来て欲しい。若い友人達と賢く助け合っているから」と、伝えまくった。

彼女は、その頃から既に、近所の障害を持つ人たちのボランティアもしていた。だから私の話に興味を持ってくれたらしく、出産までの間、2、3回は訪ねてくれた。出産の日には私が帝王切開のために手術室に行く瞬間に駆けつけてくれた。

出産のその日、私はNHKの取材陣に囲まれていたので、駆けつけてくれたお母さんはNHKに頼まれてのことか、と一瞬思ってしまった。そのくらいドンピシャリのタイミングで駆けつけてくれた。

娘が生まれた後のビデオに写っている彼女の優しい笑みが、私の脳裏に焼き付いて離れない。

その後、私たちは彼女の家に2ヶ月に1度、時にはもっと行って、1泊か2泊の滞在をさせてもらった。最初は受け容れ難い様子だったお父さんも、娘が生まれてから4、5ヶ月後、会いに来てくれた。そしてお父さんとお母さん2人だけで娘を動物園に連れて行ってくれたこともあった。

彼らとはその後、一緒に軽井沢で夏や冬のホリデーを過ごしたりもした。特にお母さんと私たち家族の4人だけで沖縄に行ったことも、とても良い思い出だ。

お母さんは多彩な人で、自分が若い頃に着ていた着物を仕立て直してくれたり、きちんとしたお節料理を振る舞ってくれたり、絵も描けば、横浜という大都会の家の中で味噌作りもしていた。

そして最近驚いたのは、娘の足に合う靴を作ってくれたこと。カルチャーセンターで靴づくりの講座があることを発見して、「やってみようかしら」と言っていると聞いた半年後には、1足目の靴をニュージーランドに居る娘に送ってくれた。

彼女を見ていると「差別観」というのは、限界なく超えられ、無くなっていくものだと思う。「私は宇宙ちゃんのことを要らない、と言ってしまったから、彼女に嫌われているかもしれない」と悩み、私に謝罪の手紙を送ってもくれた。

また祖母として、私や自分の息子をファーストネームで呼ぶ孫娘を見かねたことがあった。思わず私を「お母さんと呼びなさい」とか、「お父さんはパパでしょ」とか、娘に伝えたらしい。まだ小学校に入ったか入らなかったかの頃だったと思うが、娘は「ばぁばは、婆ばしなくてもいいんだよ」と言った。

その後の彼女の行動がまた素晴らしかった。葉書4枚を使って彼女の顔を4分の1づつ描き、毎日一枚ずつ投函してくれた。そして、4枚が合わさったところに“ばぁばは、婆ばしていてごめんなさい。それを教えてくれて、ありがとう”と書いてあった。

1人1人が役割だけで繋がるのではなく、お互いにかけがえのない人間として繋がり得ることの大切さ、豊かさを、小さい孫娘に教えられたことを感謝と共に表現できる人。

彼女の優しさ、知性の豊かさ、柔軟性、新しいことへのチャレンジ精神と創造力。

それをいっぱい受けながら暮らしているニュージーランドに居る娘。

彼女たちの幸せな関係が心から嬉しく、限りなく感謝している。

この原稿は、あくまで私の主観であって、お母さんの記憶とは違っているところが多々ある。そのことについてはまたいつか、ゆっくりお母さんの話を聞き書いてみたいと思っている。ただ今回は、お母さんに対する敬愛を心から伝えたくて書かせていただいた。記憶違いを寛容に許してくださってありがとう、お母さん。

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市に生まれ。

骨が弱いという特徴を持って生まれた。

22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

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