怒りの作法 / 古本聡(取締役兼CCO 最高文化責任者)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

株式会社土屋のバリューに「(7)怒りの爆発は何も生まない、不正には憤ろう、強く、深く、しかし冷静に」を付け加えることを提案したのは、何を隠そう私です。なので、今回の役員コラムのお題が発表された際には、自分の説明責任を問われているかのような気持ちになりました。

このバリュー(7)の文言を考えていた時に私の頭の中にあったのは、それぞれ全く異なった時代に属する、次に挙げる3人の名言でした。(Wikipediaより引用)

(1)「憤りには必ず前向きな行動が伴う。解決に向かわない憤りは大体何かの代替行為。」(為末大、1978年~、陸上競技アスリート)

(2)「怒鳴り散らす怒りは滑稽だが、寡黙な憤りは大きな効果がある。」(アバイ・クナンバイウル、1845~1904,カザフスタンの哲学者)

(3)「誰でも怒ることは容易に出来る。だが、適正な相手に、適正な程度で、適正な時機に、適正な目的の為に、適正な方法で怒りの気持ちを伝えるのは、容易いことではない。」(アリストテレス、BC384~BC322、古代ギリシャの哲学者)

そもそも、怒りというのは人間の自然な感情の一つであり、怒りの気持ちを表現するということは、れっきとしたコミュニケーションの手段のはずなのです。例えば、相手の不正な、または不適切な言動や行動を止めさせるなど、状況を改善させるには効果的な場合もあります。

ただし、この怒りによって相手の行動を変えさせる方法は、手っ取り早いと言えばその通りなのですが、相手によっては委縮させてしまったり、逆に強い反感を呼び起こしたりしてしまう可能性が高く、本来、緊急時や他に手立てのない場合に用いられるべきものでしょう。

ですから、もし、怒りを「不適正な相手に、不適正な程度で、不適正な時機に、不適正な目的で、不適正な方法により」表出することになったら、状況をさらに悪化させてしまうでしょう。それは、全く意味のないことなのです。

その一方で、勿論、「怒ること=悪いこと」では決してありません。怒りはそもそも二次感情で、「不安だ」、「辛い」、「苦しい」というような負の感情が、怒りとして表に出てくるのだと、何かの本で読んだ記憶があります。例えば、小さい子供は、母親が視界からふといなくなると急に「いやだ!」と怒りだすことがありますが、これは「不安」や「いて欲しいのに」という満たされない欲求からなのです。そして、この点については、子供でも大人でも同じことのようです。

このような負の感情を心の中に封印してしまうと、ストレスがどんどん溜まっていき、終には暴発してしまうか、心自体が壊れてしまうかどちらかでしょう。いずれにせよネガティブな結果を招きます。怒りは必要な時に小出しにするのが最良なのでしょう。

ところで、怒りには幾つかの性質があります。まず『上から下へ』に発生します。上司から部下へだったり、先輩から後輩へだったり、はたまた教師から生徒へだったり、親から子へだったりします。上司から部下へのそれは、理由付けがしっかりしていなければパワハラと呼ばれてしまいます。お父さん・お母さんが子に怒るのは、どうしても年齢的にも、立場的にも、両親が上で子どもが下になるから、ということも言えます。スポーツの世界では、コーチは基本的に教える側だからコーチが上で選手が下になるので、怒りは発生しやすいです。

怒りは、他の感情よりも伝播しやすいという特性もあります。その特性は人間が狩猟民族だった時代に身についたと言われています。狩りをする時には、楽しい、嬉しいなどの感情より、怒り、悲しみ、苦しみなど負の感情の方が素早く伝える必要があります。その結果、怒りなどの爆発的な感情は他の人に伝播しやすくなったそうです。

さらに怒りには、身近な人ほど強くなったり、一緒に居る時間が長いほど強くなる、という性質もあるそうです。これは皆さんも、今までの経験から分かると思うのですが、他の人だったら怒らないはずなのに、例えば自分の親には、「うるさい!」、と怒りをぶっつけてしまうことを示しています。

ただし、怒ることはキレることではありません。怒りをストレスとしてため込んだ結果、爆発的な怒りの表出がキレるという現象です。キレるというのは一時的な、ないしは瞬間的な狂気なのです。

現代、同じ社会、コミュニティに属していても、人々の価値観や世界観は多様化しています。ダイバーシティと表現すると恰好がいいように聞こえますが、私達はこの「お互いの違いを認め合う」という段階まで到達しているのでしょうか。私はまだまだ遠い道のりだと思っています。だからこそ私たちはそれを目指しているのです。

価値観の違いの名の下に、人は人にどんな感情もうっかり表出することができなくなっています。そして最も出し易い感情である怒りは以ての外ということになりました。でも、私はバリューの(7)を作った時に、出し方が問題なのだということに最も大きな重点を置きました。

そしてその怒りの出し方とは、アリストテレスが言ったように怒りを表出するTPOをわきまえること、為末大氏が言うように「解決に向かわない憤りは大体何かの代替行為」であることを忘れずに、また怒りを爆発させることは、傍からは滑稽に見える場合もあるということを心に常に止めておくこと。これらこそが怒りを表出する際の作法ではないかと、深く、強く、冷静に考えています。

最後に付け足しておきます。歴史を動かしてきたのは喜びや幸せといったポジティブな感情ではありません。歴史の大きな原動力になってきたのは常に負の感情である怒りなのです

例えば、絶対王政を倒してフランス革命を成功に導いたのは一般市民の怒りでした。ロシア革命も、またソ連崩壊もそうです。そして私が関わり合いを持ってきた障害者解放運動の原動力もまた社会の不公正や差別に対する当事者らの怒りだったことは確かなのです。間違った怒りの使い方もあったでしょう。しかし、怒りの特性や表出のマナーを守っていきながら今後も怒りをエネルギーに変えていこうとも強く思っています。

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当

 

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