土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
えらぶ【選ぶ】
何かを選択する場面では、未知のものを選ぶこと。
行ったことのない場所。
食べたことのないもの。
やったことのないこと。
これまでの経験にはない方を選んでいくのである。
慣れ親しんだものは安心だろう。手がたく同じ道を踏みたくなる。
しかし、それだけでは新しい感動とは出会えない。
もちろん失敗することもある。
それでも、その後悔も含めて人生の味であると楽しむことができれば、間違いなく生活は彩られる。
チャンスは二度と戻ってこないかもしれない。
命は短い。
迷わずいけよ。
◇
とりはだ【鳥肌】
鳥肌は小さな感動の証拠である。
「プチ心のふるえ」とでも言おうか。
歌でもミュージカルでも映画でも漫画でも、何でもいい。感動し、心がふるえることはもっとも大切なことだ。多くの感動と出会いたい。
仕事で感動できたら最高だ。
普通は何かにお金を払って(ときには大金をはたいて)感動を買うのである。
感動できてお給料をもらえるのだから言うことなし。
感動は貴重だから、その一瞬一瞬を大事にしたい。
あまり根性論とか好きではないのだけど、できるだけのことをやった方が感動と巡り会えるチャンスは増えるかもしれない。
挑戦すること。
挑戦しなければ感動もない。
◇
たしゃ【他者】
他者は、幸せそうに見えるものである。
羨ましく見えるものだ。
でも本当のことは分からない。
本当に幸せなのかは分からない。
かえって自分は、不幸だと考えてしまうものである。
最悪だと思ってしまうものだ。
でも本当はどうだろう。
本当に不幸せなのか、どうなのか。
本当のことはなかなか目に見えないものである。
自分では気付けないものである。
「なくしてはじめて気付く」というのは本当だ。
だから、なくさないうちに気付きたい。
◇
ちず【地図】
地図を見るのが好きだ。
20歳の時に購入した関東の道路地図はボロボロだけどまだ使っている。
地図を見て目的地に向かうという使い方はもちろんする。あとは、地図も見ずに走って、家に帰ってからどんな道を通ってきたのか、地図をたどりおさらいするのが好きだ。
通った道を思い浮かべながら、地図を見る。
それが楽しい。
◇
ゆめ【夢】
夢は持っていた方がいい。
その方が生きていて楽しい。
夢があると、無意味だと思うようなことにも意味を見出だせる。
例えば極端な例で言えば、芸人であれば人を笑わせるという夢のためにエピソードトークを日常的に集めておかねばならないだろう。すると自分の行動の全てはネタ探しとなる。どんな無駄に思えるようなことでも、笑いのためだと意味を見出すことができる。
それがたとえ辛い経験でも、苦手なことでも、悲しいことでも、いつか笑いになると思えば頑張れるのである。
逆に儲けもんだと得した気分にさえも自分の心を持っていくこともできる。
マイナスの体験をプラスに転化できるのも、夢の力のなせる技だ。
私は音楽活動もするが、ライブをするという夢のおかげで、今までまったく興味のなかった服装も、ステージ衣装を選ぶという視点で興味を持てるようになった。
ひとつの夢があると、他のものごとも結びつけて楽しくなってくる。
夢があると楽しい。
そして、強く生きることができる。
軸ができる、と言ってもいいのかもしれない。
しかしながら、私は他者に「夢を持ちなさい」と言うことがどうしてもできない。
夢は人から言われて持てるものではないからだ。
中学生の時、私はバレーボール部だったが部活を楽しいと思ったことがなかった。
どうして楽しくなかったのだろうと最近考えたことがある。答えは「やりたいことではなかった」からだ。
生徒は何かしらの部活に所属しなければならず、いやいやながら選択した覚えがある。やりたいことでなければ楽しくはないだろう。
バレー部の3年間、まったく無駄だとは思えないがバレーは何かに代替可能なものだった。バレーでなくてもよかった。
夢を持つのは難しい。
あの当時、誰かが私に「夢を持ちなさい」と説いたとしても、果たして私は夢が持てたであろうか。
できなかったと思う。
夢を持つということはどういうことだろう?
それはまずは、好きなことがある、ということ。
やりたいことがある、ということ。
「意欲」である。
はじめの一歩は意欲があるかどうか、だろう。
好きなことがある、ということは幸せなことだ。
その気持ちを大切にしていきたい。
◇
いっすん【一寸】
一寸先は闇、という。
一尺の十分の一の長さ。曲尺(かねじゃく)の場合は約3.03センチに当たる。
約3センチ先は闇。
一年後にまた会いましょう!なんて言うけれど、その一年後がある保証なんかない。
また明日!だって、明日があるかは分からない。
一時間後、30分後、10分後、1分後もあるか分からない。
3秒後もくるのかどうなのか。
一寸先は闇。
何が起こるか分からない。
例えば、大きな地震がきて、1分後の世界はガラッと変わっているかもしれない。
多くの人が、このまま日常が続いていくと思っているはずだ。
例えば、マスクも付けずにテーブルを囲んで酒を飲み交わし、笑い合っていた日々が当たり前ではなくなることを誰が予測できたであろうか。
何が起こるか本当に分からない。
だから、「今を、生きる」。
今を、全力で楽しむ。
次巻につづく