土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて⑥-1/高浜 敏之

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

交通事故後後遺症のリハビリがほぼ完了した妻が、アルバイトで重度訪問介護のお仕事を始めた。事故後PTSDの症状が残る中、もともと従事していたマスコミでのハードワークに回帰するのではなく、自身が一定期間体験した四肢が全く動かない状況を四六時中生き抜いている重度障害者のそばに寄り添う時間を選択した。

 

当時私はデイサービスの管理者として、送迎、食事作り、入浴介護、担当者会議、などなどめくるめくような業務をこなしながら、慌ただしい日々を送っていた。

 

小規模デイサービスの報酬単価改訂などもあり先が見通せないなか、事業の多角化などを検討し、経営コンサルタントが主催する様々な介護事業経営セミナーなどにも参加してみた。

 

そんなある日、妻から「重度訪問介護の事業立ち上げてみたら?」という提案があった。

 

その時はあまりその気にはなれなかった。かつて障害者運動に身を投じたことがあり、運動と介助、そして生活を維持するための副業の往還で、いわば半ばバーンアウトするような感じでリタイアした経験がある。そこに再び回帰するという気持ちにはなれなかった。介護保険サービスの体系化されたシステムのなかで働くほうが、ある脆さ、感情移入が過ぎてしまう境界線の弱さを抱える自分には合っているという実感があった。

 

ある日、障害者運動を共に担った仲間からショートメールが届いた。デイのご利用者の昼食を作っている最中だった。フライパンを振りながらメッセージを読んでみた。

 

新田勲さんの訃報だった。

 

新田勲さんは、1970年代の府中療育センター闘争から、障害当事者としてこの国の障害福祉制度の基盤を作り、重度訪問介護を利用した在宅生活というライフスタイルモデルを創造した人物だ。

 

収容施設の人権侵害的状況に抗議し、施設環境の改善を訴えた新田さんたちは、やがて施設の構造的な限界に気づき、施設を変える、から施設を脱出する、という選択をした。

 

しかし、施設を抜け出した先の地域には、在宅生活をする障害者を支える制度は皆無だった。ボランティア集めに奔走した。来る日も来る日も、雨の日も風の日も、ボランティアを探した。ボランティアすなわち無償の介助者に支えながら地域生活を送った。

 

やがて限界がやってきた。新田さんたちの行政に対する訴えは、施設環境の改善からボランティアの有償化すなわち介護労働の創設に向かった。公的介護保障運動がスタートした。

 

苦難の道だった。しかし、新田さんたちの意志がくじけることはなかった。施設に戻るという選択はなかった。命がけの闘いを新田さんたちは展開した。そして、不可能が可能になった。2005年の障害者自立支援法創設と共に、重度訪問介護が誕生した。

 

1960年代後半に運動が始まった。約40数年の時を経て、あり得ないことが現実となった。この奇跡の物語を、新田さんは惜しみなく足文字で私たちに語ってくれた。そんな新田さんが、日本の他人介護制度の種をまき、それを育て続け、全国公的介護保障要求者組合のリーダーシップを終生にわたって採り続けた新田さんが、この世を去った。

 

通夜に参加させていただいた。いのちの保障を一貫して足文字で社会に訴え続けた新田さんと久しぶりに再会したとき、新田さんはすでにこの世の人ではなかった。涙が流れた。新田さんのいのちは遠いところに飛翔し、もはや新田さんの足文字から、いのちの保障について聞くことはできなかった。

 

葬儀のときは、新田さんをリスペクトする多数の方々の、悲鳴とも思えるような泣き声が木霊していた。

 

多くの他者の死と出会い、そのたびに、自分の中から何かが失われていくのを感じてきたが、新田さんの死のあとも、強い喪失感が残った。そのような空白地帯を抱えながらも、また再びなにもなかったかのように認知症の方々と過ごすデイサービスを運営する日常に回帰した。

 

ある日、社長とランチをしながら、小規模通所介護の報酬単価の削減問題の対応について話し合っていた。ふとした瞬間、妻からの提案と新田さんの他界の情報がリンクした。

 

何の気なしに、重度訪問介護というサービスがあって、サービス提供事業者が少なくて十分潜在的ニーズが満たされず、困っている当事者がたくさんいて、云々という話をした。軽い気持ちで事業の立ち上げを提案したところ、じゃあやってみましょうかと、同じく軽い感じで提案がキャッチされ、ランチメニューを決めるかのようなポップなノリで事業開始が決まった。

 

こうして2014年6月に土屋訪問介護事業所がスタートした。

 

◆プロフィール
高浜敏之(たかはまとしゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。

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