不思議な縁で結ばれている / 田中 恵美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

大学の3年生に編入してみると、不思議なことに私の周りには社会人入学の学生がごろごろいました。

その学年だけ100人の定員の10%、10人ぐらいが社会人経験者だったのです。教員になって思うのですが、それってリカレント教育として、かなり進んでいたことだと思うのです。そしてそのうちの半数以上が今、大学教員になりました。いやぁ。。。すごい確率ですよね。その点もちょっとないことではないかと思います。

皆、大学生のころからあちこちの外部の研究会に参加したり、自主的な学習グループを作って学んだり、教員の教えてくれることだけで満足しないという、教員からしたら扱いが面倒な個性的な学生だったかもしれません。一方でとても面白がって様々な活動に徴用してくださる先生もいました。

私もご多分に漏れず、授業以外の活動にもあれこれと関わっていました。前回触れた“もっと優しい旅への勉強会”のほか、障害者運動の会合など様々なところに出かけていました。今でも覚えているのは、東京都との交渉に参加した時のこと。

最初は要望をいっているだけだったのですが、それだけでは何も変わらないと思ったのでしょう。突然、「ふざけんな!聞いてんのか。こっちは命がかかっているんだ」と啖呵を切った男の人がいました。それが知る人ぞ知る故高橋修さんです。その時に隣にいたのが立岩真也さん。

当時東京都心身障害者福祉センターの職員だった赤塚光子さんが立岩さんを紹介してくれて、それからはJIL の集会の受付をお手伝いしたりしました。ちょうど代表が樋口恵子さんになり、事務局長が奥平真砂子になったころでした。会場でボランティアにいつも気遣って声をかけてくださるのは高橋修さんでした。怖い顔と優しい顔、どちらも持っている魅力的な人でした。

女性障害者の集会で青海恵子さんに出会って、フットルースという非営利活動の団体のアメリカとの交換留学の活動に関わるようになり、アメリカの障害者の方のホームステイを受け入れたり…。そうそう、障害学研究会関東部会の勉強会にも参加するようになっていました。

そして忘れてはならないのは、安積遊歩さんとの出会いです。当時は安積純子さんでした。書籍『生の技法』との出会いです。旅の会で、あるいは障害者運動で様々な障害者の方たちと出会う中で、大学の学びの中に何かしっくりしないものを感じていた私が、唯一これだ!と思えたのが『生の技法』でした。私にとってのバイブルです。

遊歩さんにとっての私は、『往き還り繋ぐ』に関わるインタビューアーなのですが、私にとっての遊歩さんはずっと障害者運動の先頭を歩くリーダーでした。

そして今、私が一緒に仕事をしている人たち、それが遊歩さんを始め、このころ知り合った人たちばかりなのです。一番驚いたのは、今年の6月から「障がい学生支援」担当として私の勤務先で働きだした人。なんと以前JIL人の事務局で働いていた人でした。

縁って本当に不思議なものです。

 

◆プロフィール
田中恵美子(たなかえみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。

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