土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
日本の精神医療は国連などから様々な勧告を受けている。その中で、私が自分の体験から見ても最悪だと思うのが身体拘束である。もちろん閉鎖病棟に素っ裸にされて隔離されることも最悪だが、身体拘束は隔離の中でなされる最悪中の最悪である。
人間は自由を求める存在である。身体の自由を奪われることは人間でいることをやめろと言われているのと等しい。突然、病気や事故で、体が動けなくなると、人は当然のように死を思う。死にたいくらい怖くて辛いのだ。それでも、簡単に死ぬことはできない。少しずつ、その「争えない身体」に変化したことを受け入れざるを得ない。それ以外に道はないわけだから。
ところが、身体拘束は医療の名を持って、自由を奪う。私からすれば、「死んでしまえ」と言われているのと同じだ。私は骨折と手術のたびに、ギブスによって身体拘束をされた。あの時の気持ちを振り返ると、世界中が敵なのだと絶望でいっぱいだった。
優しい母には、優しかったからこそ当たりまくっていたし、3つ年上の兄とは常に大喧嘩。2つ年下の妹はヤングケアラーの任を完璧にこなして、生き延びてくれた。
その期間は、短くても2、3ヶ月は続いた。平和や穏やかさとは全く対極の日々。恐怖とフラストレーションを常に感じながらも生き延びた。
そのように子ども時代の私がされた身体拘束はギブスを使ってだった。しかし、今現在、日本の精神病院で行われているものは、拘束具(または拘束帯)を使ってのもので日常的に行われている。その数は1日1万人。初めてその数を聞いた時、私はあまりの衝撃で声を失った。
そんな中この度、実名で身体拘束をされて亡くなった大畠一也さんのご両親が裁判に訴えて、勝訴した。(朝日新聞デジタル10月23日参照) この裁判での勝訴は、日本の精神医療の歴史上、画期的なことである。私はこれを契機に、日本の精神医療が国連の勧告に従い、身体拘束を止めていく方向に大幅に転換していってくれることを願ってやまない。
この裁判の素晴らしい点は、まず、ご両親の決断だ。思い出したくもないが、2016年の神奈川県やまゆり園事件の犠牲者の方々の親たちのことを考えてしまう。あの時、親たちはやまゆり園の経営人を裁判に訴えるどころか、殺された自分の子どもの名前の公表すらしなかった。
あの時には、きっちりと言葉にするのをなぜかためらってしまったが、しかし今回は、身体拘束の不当さを見逃さず、子どもの尊厳を親が守ろうとしてくれたこと。これは、親が子を思う気持ちからすれば、当然である。しかし、やまゆり園事件にはその、「当然である」という思いも根こそぎにされたのだった。親たちの沈黙は我が子を「殺されても仕方がない存在」と親自らが決めつけ、諦めているかのような対応だった。そして世間も優生思想に極まっているから、親と一緒になって、殺された人々に哀悼の意を表すということはなかった。
そのことを思い出しつつ、大畠一也さんの両親を見ると、シンプルに、子どもを愛しているのだろうなという想いが伝わってきたのだった。
そこには身体拘束によって、病院側に殺されたのだという怒りと悲しみがまっすぐにあった。その愛と悲しみが弁護士や周りの人に伝わったことも、裁判の勝訴を導いた理由の一つだと思う。精神病院の中の身体拘束には、WHOから基本原則が出されている。ところが、日本の精神病院のほとんどはその原則を破りまくっているという。法律ではないということでもあるからなのか、破りまくりながら、それをまるで記録もしていない。
この裁判を勝訴に繋げた大きなものが、看護師の克明な記録の確かさにあったと聞いた。WHOの基本原則では、身体拘束の必要性を30分おきに再評価し、継続時間は4時間までと提起されている。にも関わらず、日本の病院では、それは全くやられていない。
なぜそれができないか、という原因の一つは、圧倒的な医師不足にもある。精神医療における医師は、それ以外の病棟の2/3の人員配置でいいと言われているとか。また看護師の人員不足も深刻だ。不足からくる虐待や暴力があっても、それに対する対策はほとんど講じられていない。この裁判の結果は日本の精神医療の中で、どのように身体拘束が使われているかを明らかにしたわけだから、もっともっと、丁寧な報道が為されるべきと思っている。
ところで、私が住んでいる北海道には、べてるの家という当事者主権の精神医療コミュニティがある。そこでは身体拘束というのはあり得ない暴挙と考えられているから、回復への取り組みや道は常に開かれている。
身体拘束1万人に諦めることなく、裁判に勝訴した大畠一也さんのご両親。この勝訴をべてるの家の取り組みと合わせて、精神医療の闇を取り払ってゆくものになって欲しいと心から願っている。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。