「生活」と「記号」 / わたしの

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

ある施設職員は独り言を言っていた。

私はそれをただ聞いていた。

その人は自分のことを福祉産業の担い手、あるいは働き蜂、あるいは歯車と自戒を込めて呼んでいた。

施設職員と言っても漠然としていて、これでは言葉が足りずイメージが湧かないかもしれない。

例えば高齢者や知的障害者、あるいは子どもたちを対象とした日中活動のいわゆる「通所施設」の職員と言えば少しは想像しやすいだろうか。

朝9:00ごろから夕方くらいまで利用者を預かる「デイサービス」従事者と言ってもよい。

行政から見れば「ハコもの」と呼ばれる施設の内部で日々通ってくる利用者の支援に当たっている人である。

そのような「通所型」の施設を経験した方はこんな風景に立ち会うことが日常ではないだろうか。それは日中活動を終えて利用していた人々が帰っていく風景である。

彼らは帰っていく。

そりゃそうだ。

通ってきているのだから帰っていくのは当たり前じゃないか、と思われるかもしれない。

あなたはどんな「帰りの風景」を思い浮かべるだろうか。

知的障害者支援に当たっている者は次のような風景を思い浮かべるだろう。

ある人は母親に手を引かれ帰っていく。ある人は一人で一目散に駆け出し帰っていく。独特の歩き方でゆっくりと、正確に帰っていく人もいる。

その後ろ姿がなぜだか施設職員の心を揺さぶる。

夕暮れの光の加減もあいまってなのか、その姿はとてもドラマチックだ。

エモい。

なぜだろう?

年老いた母親と不惑を過ぎた息子二人の背中。

プログラムされたかのように90度で直角にカーブを曲がっていくその背中。

バスに乗り遅れまいと必死で駆けていくその背中。

仲間同士でたわいもない話をしながら帰るその背中たち。

哀愁なのか。

美しさなのか。

無垢なのか。

心を激しく揺さぶるものの正体は何なのか?

高齢者支援の施設職員は高齢者が送迎バスから降りて家族に手を引かれご自宅へ入っていくときの後ろ姿を想像するかもしれない。

保育に当たっている者は子どもたちが家に向かって小鳥のように駆けていくその後ろ姿が目に浮かぶだろう。

冒頭で「通所施設」と限定的に言ってしまったが、暮らしの場とされている「入所施設」やGH(グループホーム)の利用者が例えば週末に一時帰宅していく姿を見慣れている方は、その場面を思い返してほしい。

どうしてその光景に心が震えるのだろう。

どうしてそんなに心を打つのか。

その背中が訴えかけてくるものは何なのか?

「生活」

もしかしたらそれは「生活」かもしれない、とある時思った。その背中はそれぞれの「生活」へと帰っていく背中だ。

それぞれの「生活」へと帰っていく者の背中に施設職員は自省や葛藤や矛盾を突き付けられる。だから胸を打たれるのだ。

ならば日中の時間は「生活」ではないというのか?

そんなことはないはずだ。

しかし、見えない。見えにくくなってしまっていると言ってもよいだろう。どうして「生活者」としてのその人の顔が見えにくいのだろうか。誰もがそれぞれの条件を背負って生まれてきてそして死ぬという一度きりの人生を生きている者にかわりないはずなのに、どうしてそれが見えぬのだろう。

「生活」の反対は「記号」だ。

区分が○○で、手帳が○○で、点数が○○で、肩書きが○○で、○○という診断の、○○という特性の、個別支援計画には○○と書かれており…。

そんな「記号」に覆われてしまって目の前の人が「生活者」であることを忘れてしまうことがある。

「たとえば、ふだんの暮らしの中で、食事の準備とか、下ごしらえとか、料理と呼んでいるものを、食事スキルとか料理スキルと呼べば不自然になってくるであろう。私たちは『食事を作ろうね』とはいっても『食事スキルを実践する』とは言わないものだ。単なる言い方の違いを言っているのではない。暮らしとか日常性を大事にするのなら、それを支える日常の言葉を大事にしなければならないという根本のところを問題にしているのである。

日常の暮らしを大事にするのなら、日常の言葉を使えばいいわけで、そこでわざわざカタカナのプログラムやスキルというような言葉を使う必要はないのである」(村瀬学『自閉症』)

べたべたと様々な記号が貼り付いてくる。記号化した方が分かりやすいし、扱いやすいし、効率的だし、分類しやすい。

「そうではない」と背中が訴えかけてくる。

「私は記号ではない」と。

「私は紛れもない生活者だ」と。

目を覚ませ、と。

福祉の語源は「福」も幸せ、「祉」も幸せ、どちらも幸せを表すとよく聞く。皺と皺を合わせて幸せなのに、さらに幸せと幸せを合わせて、欲張りに、貪欲にとにかく幸せを、ということだ。

幸せ、それは間違いない。

それでいい。

ところが支援者にはその幸せが、他者の幸せが、見えない。

それはその人が「高齢者」だからなのか。

その人が「知的障害者」だから見えないのか、その人が「統合失調症」だからなのか「認知症」だからなのか、それともそもそも他者の幸せというものははじめから見えないものなのだろうか。見えにくいものなのだろうか。自分自身の幸せだってよく分からない…。

ならば記号を脱ぎ捨てよ。

背中はそう言っている。

だから心が揺さぶられるのだ。

いつ終わるかも分からない遠回りに寄り添うその道行きで笑顔や喜びや痛みや苦しみなどの生活の実感を我がこととして共感してしまうような時間の積み重ね。白黒では線引きできない、割りきれない、答えの出ないやりとりの繰り返し。土臭い、泥臭い、生活に伴走すること。

私の記号を脱ぎ捨て、記号をはかる眼鏡を捨て去ったときに(相手を記号では見ずに)、同じ「生活者」と「生活者」という対等の関係になることができたときにはじめて、もしかしたら少しだけ相手の幸せと、そして自分の幸せが感じあえるときがくるのかもしれない。

そのときかつてラスコーリニコフが「おかえりなさい、生活者の世界へ」とソーニャに迎えられたように、あるいはファウストが「時よとまれ!」とこの世の美しさに気付いたように、ささやかな幸せをちょっぴり知ることができるのかもしれない。

そのとき自分のことを福祉産業の担い手、あるいは働き蜂、あるいは歯車と本心からそう呼んでいる彼もまたその記号を脱ぎ捨てて「生活者」の顔を見せるのだろう………。

自分もまた時間がくればタイムカードを切って「生活」の世界に帰っていくという当たり前のことに気がつく。

路上を行く人の背中も、満員電車に揺られている人の背中も、居酒屋で飲み潰れている人の背中も、全ての人々の背中に「生活」がある。

そして自分を含め、健常者と呼ばれていると錯覚している者も、誰もがみな「生活者」であることをほんの束の間感じることができるときが訪れるのかもしれない。

「………」

しかし施設職員の彼はまだ自問自答して独り言を言っている。

ずっと彼は揺れている。

私はそれをただ聞いているだけだった。

耳を傾けてあげることしかできなかった。

幸あれ。

人々がそれぞれの幸せを求める隣で、そのささやかな声を聞きながら、そっと伴走させてもらえることのありがたさ。

他者の幸せを私の幸せとして感じられる(感じたいと願っている)この仕事に就く者たちへの敬意と誇りを胸に、私が聞いた彼の独り言の内容紹介を一旦ここで締めくくりとする。

つづく(^_^;)

 

 

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