恐ろしい話を聞いた。介護脱毛ということが流行り出しているそうだ。恥毛、つまり陰毛に対して、それを脱毛することで介護量の軽減を図ろうとするものらしい。例えばオムツをつけていた場合など、そこに大便等がつかなくなれば匂いも少なくなって良いということだそうだ。
介助を軽減するために身体が改変されることはよくある。究極をいえば、さまざまなリハビリはそのためにあるとも言える。介護者や介助者に少しでも迷惑をかけないように。座れなかったら座れるように。座れたら立てるように。立ったら歩けるように。そうして、私たちの身体はビシバシと医学の介入を受け続けてきた。
そして遂に介護脱毛。私の介助をしている若い友人が「生理のときに毛が無い方が楽」ということで、聞くもおぞましいブラジリアンワックスをし出したのは2、3年前だったろうか。とても仲良しで大好きなのだが、それだけは聞くに耐えず、なるべく触れないようにしてきた。
しかし、別なところから「ブラジリアンワックスは痛いんだよ。」と聞いた。そんなに痛いことをなんでしているのかとあまりに驚いて、彼女に確認した。そしたら「その痛い思いも何回かすれば、永久脱毛だからしなくてよくなるんだよ。」と教えてくれた。
私の介助をしている仲良しの彼女が、痛みを耐えても毛をなくそうとする。これはどういうところから来るのだろう。楽なこと、見てくれがよいこと。障害を持つ人の命をも追い詰める優生思想の根幹を自分の身体にしてしまうこと。「ブルータス、お前もか。」という切ない気持ちの中、私は再び沈黙した。
介護脱毛がなぜ嫌なのか。いくつも理由はあるが、その最大のものは、私の幼い頃の不安と恐怖と屈辱を思い出すからだ。六十数年前の日本の医療は、手術のときに必ず剃毛(ていもう)を必須としていた。
私は、足の大腿骨を2ヶ所か3ヶ所切り、真っ直ぐに並べるという残酷な手術を、8回くらいはされている。だから、少なくともその同じ数だけ剃毛をされた。これがとんでもなく、不安と屈辱と恐怖に満ちたものだった。
まず不安は、手術の一日か二日前に、それをされるというところから来た。足のつま先からみぞおちくらいまで実に丁寧に、まず石鹸をぬられた。そして、看護師たちがどの毛も一本も残さないという迫力で、剃刀を取った。特に小学校5年のときに入った病院併設の施設、療育園では剃毛が念入りだった。
仰向けとうつ伏せに交互に何回もなるよう言われ、恥毛もまだ生えかけのところをしつこくされた。それなりに歳のいった看護婦ならまだしも、わかい看護婦がおっかなびっくりにナイフを持っているのを感じると、こちらも不安を通り越して恐怖になった。
屈辱は、なぜかそんな時に男性医師が入室してきたときがあったこと。気の利く看護婦ならすぐにシーツをかけてくれるが、そうでないと丸裸の私は、彼らからの眼差しを屈辱と怯えの中で、受け止め続けなければならなかった。今考えれば、剃毛の現場にわざわざ医師が見にきていたとしたら、それは明らかに性虐待であったと言える。
しかし当時11歳の私には、そんな言葉も概念も全くなかった。ただただ、屈辱と恐怖が身辺を取り巻いて、早くその時間が過ぎ去るのを待つだけだった。だから、介護脱毛と言われて、まず誰がそれを望んでいるのかを心から問いたい。
ブラジリアンワックスで脱毛した私の友人は、大量消費至上主義の抑圧の中で、それを選択させられたとしか私には見えない。さらに介護脱毛には本人の選択権がどこまで尊重されているのか、疑念の極みだ。
剃毛に話を戻そう。今はすっかり手術前の剃毛はなんのメリットもないということで、されなくなった。その記事を読んだのは、多分20年くらい前のこと。全国紙の社会面の隅になぜか小さく載っていたことを覚えている。小さかった記事だけれど、私はあの不安、屈辱、恐怖が一体なんだったのだろうという無念さを感じて読んだ。同時に、看護師の仕事は忙しいから、剃毛というあまりに無駄な仕事がなくなったのは、良かったと思ったものだ。
介護脱毛は最近出てきた。剃毛とは違ってたぶん、シャワシャワの石鹸で丁寧に剃るということはせず、強力な脱毛剤を障害を持つ人に使うのではないだろうか。大量生産、大量消費、大量廃棄で経済を回そうとするシステムがまずある。その中で、障害のない人の体は、私からは経済の奴隷であると見える。そして障害を持つ人の体は、さまざまな実験の場だ。
そのシステムの中に、この介護脱毛という概念、有り様も生まれてきたと思うのだ。排泄は人間の大切な生命活動の根幹にある。そこに、大量の羞恥心や介助を軽減することが楽で、大事なことという認識を持ち込んで、脱毛剤を使わせる。
11歳の私は、ただただ怯えて、剃毛に異議を唱えることはできなかった。しかし、そこから55年経った今は、介護脱毛に対して、おかしい発想は止めて、身体を大事にしようと声をあげたい。介護の場面で大事なことは、邪魔なことは無くしてしまえというばかりに毛をとってしまうことではない。身体の有り様の一つ一つを祝福し、介助する側、される側のコミュニケーションをはかっていくことが大切なのだ。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。